あつあつを召し上がれ

仕事をして、
「ただいまあ」
と家に帰ると、すでに部屋が涼しくて心地いい。ラジオをつけて、部屋着に着替える。
「今日も疲れたあ」
と急いでご飯の準備にとりかかる。
といっても、今日はとてもらくちんご飯で、魚の南蛮漬けをすでに朝、作っていた。
あとは、インスタントのお味噌汁と、ひじき煮。
「いただきます」と言って手を合わせる。
「おいしいねえ、いい感じ。また今度作ろうか」
と言いながら、もぐもぐ食べる。

間違えてインスタントのお味噌汁を先に作ってしまっていたため、ちょっとだけお味噌汁は冷めている。


大学生のとき、ひとり暮らしの子が口をそろえて言っていたのは、
「ひとりごとやテレビへのつっこみがやたら増える」
ということだった。
随分遅ればせながら、その気持ち、すごくよくわかる。

わたしは今日も、自分で作った料理を批評し、自分で食べて、ラジオにつっこみを入れている。
ちなみにクーラーは、朝、出勤前に、帰ってくる時間に合わせて運転するように、タイマー設定にしている。

◇◇◇

ひとりで部屋のなかで、本当にできたてのあつあつの料理を食べられることって、まずないように思う。
スーパーのお惣菜は、レンジでチンしてもあの衣のサクサクを再現できないし、自炊したとしてもひとりでは限界があって、何かしらバタバタ用意をしていたら、どの料理も少しは冷めてしまう。

そう考えると、できたてのあつあつっていうだけで、最高のごちそうやなあ、と思いながらこの本を読んだ。

誰と、どこで、何を食べたかってとても重要で、いい意味でも悪い意味でも、よく記憶に残る。

ただ一緒にご飯を食べるだけで構わないから。珠美といると、幸せなんだよ(『親父のぶたばら飯』)
お父さんが、毎日みそ汁を作ってくれって、そう言って秋子にプロポーズしたからじゃないか(『こーちゃんのお味噌汁』)
どうしてかしらね。失くしてしまってからじゃないと、大切なものの存在に気付けないの。だから由里ちゃんはさ、旦那さんを、しっかりと大事にしてあげてよ(『季節はずれのきりたんぽ』)

この本で言うと、『親父のぶたばら飯』の珠美は恋人と食べたこの「ぶたばら飯」の味を絶対忘れないだろうし、そしてまたこの恋人とこのお店に食べにいくだろうし、『こーちゃんのお味噌汁』のお父さんは、庭に咲く桜をみるたびに、呼春が作ったかきたま汁の味を思い出すだろうし、そしてまた呼春が孫を連れてきたときにかきたま汁を作ってもらうだろうし、『季節はずれのきりたんぽ』の由里は、この夏に食べた苦くてまずいきりたんぽをきっかけに、父が好んだきりたんぽの味を母に教わって、この冬はきっと家でふるまうだろう。

7つの短編集からなるこの本のなかでも、この3つの物語が特に好きだ。神さまの計らいで、ばらばらだった縁と縁の糸がゆっくり撚られていく家族のものがたりに、何度読んでも、じわあっとあたたかいものが胸に広がる。

好きなひとに、こんな風にあたたかく思いやりのあるプロポーズを一度はされてみたいし、そのひとを大切にしたいし、あつあつのご飯やお味噌汁を一緒に食べたいし、作りたいし、「ただいまあ」って言ったら「おかえり」って言ってほしいし、あぁこういうの、すごくええなあ、と思った。このことに気付けたのは、ひとりの食卓があってこそ、だ。

この本を読み終えて、やっぱりあつあつのご飯は、誰かが手伝ってくれないと、ひとりでは決して味わうことができないから、それだけで最高やな、と思った。

あとはクーラーつけて、待っていてくれていたらもっといいのだけど。


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