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自炊をする理由はきっと自由になりたいからだ

料理は自由への扉だ。だから自分で自分の人生を歩きたければ、誰もが料理をするべきなのである。男も、女も、子供も。自分で料理をする力を失ってはならない。それは自由を投げ捨てる行為である

稲垣えみ子さんの『もうレシピ本はいらない』をつい先ほど読み終えた。すごく面白い本だった。(報道ステーションで彼女のアフロを見たときはかなり衝撃を受けたし、自由そうなひとだなあと思ったら、やっぱりそうだったらしい)料理のことも書いているのだけど、それよりも生き方のバイブル本だと思った。わたしの目指すところってここかもしれない。格好いい。

●メシ・汁・つけもの!早い・安い・うまい!●

東日本大震災の節電をきっかけに、テレビ、洗濯機、エアコン、電子レンジといったものを次々と手放した稲垣さんは、冷蔵庫までも手放してしまった。そして江戸時代の食事シーンを参考に、お味噌汁・ぬか漬け・お米を中心とした生活をしている。1食200円前後、調味料は塩、お醤油、味噌のみ。お鍋でのお米炊き方や、季節ごとの「激安御三家」の野菜を使ったレシピも公開しているのだけど、文字だけでも美味しそうなのが伝わってきて、ああ、食べてみたい…!と思わずなる。なによりも稲垣さん自身がとても楽しそうなのだ。

ごちそうって何だったんだろうと思うのです
質素なものの中に無限の世界がある。
それが私のごちそうなのです。

そもそも食べることは生きること、というシンプルなもののはずなのに、いつの間にか「ごちそう」である美味しさをもっともっと追求していくうちにどんどん大きくなっていってしまったんだよなあと、うんうんうなずきながら読んだ。感じる美味しさは千差万別で、それにいいも悪いもないと思う。

●失敗はない●

鍋でのお米の炊き方や、ぬか漬けなどうまくいかないことも多くあったというが、パサパサのお米はチャーハンの材料ができたと思えばいいし、水分が多すぎたときには水と昆布と野菜と油揚げを具に味噌を溶かしておじやにする。そうするとどれも美味しくなると稲垣さんはいう。

結局失敗なんて世の中にないのである。
失敗なんて名づけるからいけないのだ。
成功だの失敗だの、人生はそんな二者択一で分けられるほど単純じゃない。

適材適所、という言葉が思い浮かんだのだが、その場面では失敗でも違う場面では成功になるようなこともあるよなあと思った。失敗と思うようなこともやり直せば大体コツをつかんでくるだろう。わたしは失敗を過剰に恐れてしまうタイプなのだけど、そう考えればもう少し肩の力を抜いて生きてもいいのかも…なんて思った。

**●男も黙って味噌を溶かせ● **

料理は女がするものだと誰が決めたのだろう、とここまで読むと不思議に思ってしまう。確かに女性のほうが細かいところに気づきやすいかもしれないけれど、それとこれとは別物のような気もする。「料理は自由への扉」。扉は性別、大人こどもは関係なく開かれるものだと書かれている。

あなたは無力なんかじゃありません。そう料理することさえできたなら。
自立するということ。自分の足で立つということ。それはしんどいこともあるけれど、誰もが本当はものすごく憧れていることに違いない。
自立って、つまるところ自分の力で食っていくことです。お金を稼ぐだけじゃ自立しているとは言えない。稼いだお金をうまく使って、自分で、自分を、ちゃんと「食わせていく」ということができて、初めて自立なんじゃないかと思う

この「男も黙って味噌を溶かせ」っていうタイトル、すごく好き笑。本当その通りで、「オレが稼いできてやった!お前は働いていない!」と奥さんに偉そうにして、家でふんぞりかえっているおじさんたちは、一回黙って味噌溶いて奥さんに味噌汁作ってあげたらいいと思う。稼いでいるのはおじさんたちかもしれないけど、料理作って食わせてやってるのは奥さまだからな。

●わたしが自炊をする理由●

この本を読んで、なぜせまいせまいワンコンロ のキッチンにたって何かを作っているのかを考えている。

母は苦しそうに毎日料理をしていた。
もともと怒りっぽい人なのだけど、特に料理の時間になると怒りはヒートアップする。
母は「家族のために」料理をしていた(誰でもそうかもしれない)

ふんわりオムライス。
圧力鍋を使ったカレー。
具だくさんのお弁当。

料理はどれも美味しかった。感謝している。でも母はずっとずっと苦しそうで、見ていて辛かった。何かしてあげたくて、「何かしようか」と言うと、「もういい!」といつも言われた。苦しそうだから何かしてあげたいのに自分じゃ役に立たない。自分の自己肯定感の低さはここからきているのだろうか。何もできなくて役に立たない自分が大嫌いだった。

反対に祖母はとても楽しそうに料理をしていた。ひとり暮らしということもあるけど、カレー、メンチカツ、おでんのローテーション。いや、祖母なら家族がいてもこんな感じだったと思う笑。そしてシンプルだけどすごく美味しいんだな、これが。

わたしは自立したかった。母の作ったご飯は美味しいし、両親には実家からさっさとお嫁に言ってほしいと泣きつかれたが、自分の足で立って歩いてみたくて生活がしたくて、周りがどんどん結婚・出産していくなか、30過ぎて遅めの一人暮らしを始めた。あとはやっぱり苦しいことから母を解放してあげたかったのかもしれない。一人暮らしは密かに第二の自分の誕生日、と名付けるほど大きな転機になったと思う。ちゃんとはできていないかもしれないけど、それなりには生活をしている。そして何よりも…自由だ。自由は求めるものではなく、確かに今、あるのだと思う。なければきっと見落としているだけで、絶対にあると思う。これから先、ひとりでも何人になっても、生きていく力は確かにある!とやっと思えるようになった。(自信になっているかはわからない)

自分1人分ぐらい食わせてやる。
何もできないわたしだけど、自由があることを感じ、今あるもので十分美味しいものが食べられることを自分自身に証明したくて自炊しているのかもしれない。



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