黄金色の栗あんを、空に捧ぐ

秋のお彼岸。

お団子屋さんの袋を片手に、京都にいる祖父に会いに行った。

中には前日に買った、焼き栗餅が入っている。

前日。

季節限定のものはありますか。
おすすめはどれですか。
日持ちはいつまでですか。

珍しく明るいうちに帰れた仕事帰り、駅中の美味しいお団子屋さんで、店員のお姉さんを質問攻めにして選んだのが、焼き栗餅と月見団子だった。

若い店員のお姉さんは、焼き栗餅と月見団子を、ていねいにプラスチックのトレーにいれてくれた。

その袋を自転車の前カゴに乗せ、ゆるりゆるりと夜を走る。

アスファルトにはまだ、昼間の強い日差しの名残りが残っているけれど、体をさわさわくすぐる、ひんやりとした風や、チロチロ自由に鳴く鈴虫や、闇にぽっかり浮かんだ月は、秋の訪れを十分に感じさせた。

そんなシチュエーションだったので、あんこが上にのった月見団子があまりにも美味しそうで美味しそうで…買ったその日の夜に我慢できず、ひとりで先に食べてしまった。

そして後ろめたさを落ち着かせるように、えい、と緑茶を飲んで息をついた。

ああ、なんて風流な。

こういうことを肌で感じられる日本人でよかったなあ、としみじみ思った。

そのあと、家の中で一番涼しそうな場所に焼き栗餅を置いて寝床についた。

 ☆

とろとろと目をつむりながら、前の週に行われた祖母の米寿の会を思い出していた。

子どもも孫もみんなそろって、豪勢な食事会だった。

見たこともないような大きな大きな鯛。

白味噌仕立ての、この上なくやさしい鱧のお味噌汁。

粉末じゃない(!)本当に本物の松茸ご飯。

やわらかな牛肉のたたき。

「これおいしいね」「松茸なんてもう今年は食べられないね」とかいいながら、ワイワイガヤガヤ、懐石料理に舌鼓をうった。


お祝いコースで予約していたからか、器も可愛くて、鶴が羽根を大きく広げていたり、酒器や酒瓶は海を閉じ込めたようなガラスでできていたり、(あとで思ったのだけど、琉球ガラスだろうか)どれもお料理にふさわしいもので、食べていても見ていても、とても楽しいものだった。

次から次へと仲居さんが運んでくるお料理は、ひとつひとつはとても量が少ないのに、すぐにお腹いっぱいになる。なんでだろう、と思ったら、いつもよりたくさん笑って、話して食べていたからだと思った。

すっかり頭が白くなったおばあちゃんは、とても幸せそうで、何度も何度も「みんな集まってくれてありがとうなあ」と言っていた。なんだかこの場にはキラキラとした金粉がどこからともなく降ってきそうで、ほかほかとしたこの雰囲気がずっと続くといいのになあと思った。

「もう、これがほんまのほんまに皆が集まれる最後かもしれへんなあ」

誰かが帰り際にしみじみ言って、現実に少し戻された気がした。そうだった。皆がそれぞれの生活に戻り、また歩いていく。

この場におじいちゃんはいなかった。

こんにちは、来たよー

焼き栗餅、持ってきた

あまりにも美味しそうやって、月見団子は昨日1個食べてもた

そうひとりで言いながら、仏壇に焼き栗餅をお供えして、経典を取り出し、お鈴を準備する。

左手には祖母に買ってもらった淡いピンク色の数珠を通して、手を合わせ、焼香し、そのあとチンチンチーン、とお鈴を3回鳴らした。

漢字だらけの経典を口に出して読みながら、でも読みなれていないから、ときどきつまりながらお経を唱える。

結構大きな声で唱えていたので、他の参拝客がチラチラこちらを見ているような気がして、なんだか少し恥ずかしい。

祖父はわたしが小学校1年生のときに亡くなった。

なのでわたしのおじいちゃんは、「こういう人だった」という、誰かの記憶のかけらとかけらをパッチワークのようにぬいあわせて、できている。

大切にしてくれた、というのは周りから聞いている。かわいがってくれたことも、手をつないで歩いてくれたことも、頭を撫でてくれたことも、誰かから聞いていて、確かにそこにぬくもりはあったはずなのに、実際の記憶に残るのには幼なすぎた。

すっかり冷めてしまったぬくもりは、本当にそこにあったものなのか、疑ってしまうこともあるし、自信をなくしてしまうこともある。そんなふうに思ってしまう自分が嫌になる。

けれど不思議なもので、こうやって来ると自然と顔はほころぶし、挨拶もする。言葉もかける。何があったかを、逐一言いたくなる。今も一緒にいるような気持ちになるのだ。


周りにそういう人はいないだろうか。普段いつも一緒にいるわけじゃないし、全然会わないし、気まぐれに年に1回か2回連絡がくるくらいだけど、妙な安心感があって、つながっているなあ、確かに親友だよなあとか、心から大切な人だなあ、と思える人が。その感覚に似ている。

 ☆


とんでもない頑固ものだったから、きっと今の時代には絶対についていけていないよ。

口うるさくネチネチケチをつけてくるよ。

遺された子どもたちは茶目っ気たっぷり、口々に言っていたけれど、今生きていたらどうなっているのだろう。

おばあちゃんと一緒で髪の毛は真っ白だろうか、いや、髪の毛はずっと黒色で、もしかしたら禿げているかもしれない。

うーん、でも60代で髪の毛はしっかりふさふさだったから、もしかしたらかなり若々しい80代になっているかもしれない。(わたしが言うのもなんだが、祖父は男前の部類だと思う。)


もし祖母と一緒に88歳を迎えていたら、きっとあの米寿のお祝いの会でわらっていたのだろう。みんなと一緒にわらっていたのだろうし、お酒もそこそこ飲んだのだろうし、酔っ払ったのだろうし、口うるさい人だったら、わたしだってひとことふたことぐらい何か言われていたのだろう。


遺影の写真はこの上ない満面の笑顔で、ぴくりとも動かず、こちらを向いて止まっている。けれど、向かいに座ったわたしの顔は、祖父が知っている、小さいあのときのまんまじゃない。泣いたり、笑ったり、無になったり、悲しんだり、すねたりしながらも、わたしの時間は確かにすすんでいる。


さっき鳴らした3回のお鈴の意味は、「過去」「現在」「未来」。

「この鈴は、ご先祖さまとつながっているんだよ」と、随分前に祖母に教えてもらった。

焼き栗餅は、近くのベンチに座って食べた。秋空の下、息を思い切り吸い込むと、体の中に見えない澄んだ空気がながれこむ。

焼き栗餅をかじると、見事な黄金色の栗あんが姿をあらわした。とてもやわらかい。栗あんって初めて食べたけど、意外に甘いんだなあ、と思った。

それを親指と人差し指で持ち上げてかざしてみると、その黄金色と、空色のコントラストがとても綺麗だった。

この瞬間、なんとなくだけど「ああ、未来は間違いなくいい方向に進む」と思った。





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