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人生の目的と成長の必要性

私は「成長」という言葉が苦手だ。測れないし、正解が無いからである。
何よりもこの実態のない「成長」という言葉に苦しめられていた過去があるからである。(切迫感、焦燥感)

しかし、ふとした時に気づいた。「成長」は目的ではなく手段である。
じゃあ目的は何なのか。人生における目的とは一体何なのだろうか。

僕らは自らで望んで生を受けていない

人生における目的、はすごく難しい話だと思う。なぜなら僕らは自分で望んで生を受けたかどうかもわからず、気付いたらただそこに居たからである。
この僕らの「知覚」「感覚」も不思議なものである。今見ているものや、感じていることは一体何なのだろう。時々自分は何者で、何をしているのかわからなくなる時もある。

僕らはなぜ生まれてきたのか、に明確な答えを持つことはできない。
このことははっきりしている。では人生の目的は何なのだろう。以下自論である。

人間的衝動を満たす(他者に施す)

「人間的衝動」とは人間の本能的なものであり、喜びや幸せを感じることである。「嫌われる勇気」に記載があったが、
人は人に施すことによって幸せを感じることができる生き物」である。
具体的に以下に記す。

・他者と協力して喜びを得る
・他者を幸せにして喜びを得る
・他者から授けられて喜びを得る

また、「人間的衝動」はもっとシンプルな駆け出したい、やリラックスしたい、気持ちよくなりたい、も含むだろう。キャンプやサウナもここにカテゴライズされる。

真理を知る(己を知る)

厳密にいうとこれも「人間的衝動」にカテゴライズされるかもしれない。
やはり生を受けた以上、なぜ生を受けたのかを知りたい。しかし完全に知ることはできないだろう。だがそこに近づく過程で多くを知り、豊かになることはできる。真理を知るためのアクションは以下。

・他者を知り、己を知る
・やったことないことをやり、アクション後の感情を知る(己を知る)
・知識を紡ぎ、さらに知識を深める(己の考えを深める)

これらを得るために「成長」をする

「人間的衝動を満たす」「真理を知る」。他者への向き合いと己との向き合い。この2点が人生の目的だと思う。
これらを全うするためにもそれぞれに沿った「成長」が必要である。

他者を幸せにし、協業するために
→自分が豊かになり、強くなる。協業するためにもスキルを得る
他者から喜びを得るために
→自分が魅力的な人材になっている(施される素養のある人になる)
他者に会うために
→自分が魅力的な人材になっている(会いたいと思われる人になる)
やったことのないことをやるために
→できることを増やさないと拡がらない

成長は必要だ

意味のない「成長」は人を苦しめる。目的があって初めて「成長」を必要とする。私の場合は、

・人間的に魅力的になる
・人に施せるように自身が強くなる
・できることを増やす

これが目的なので、ここに沿った「成長」を求めていこう。
・これらを満たしていれば「成長」に関係あるのでやる
・これを満たさないことは「成長」に関係ないのでやらない

そしてこれを実行していれば社会の環としても問題なく溶け込め、経済的にも困らない人間になりそうである。(お金は目的じゃなく副産物)

よし、もっとシンプルに生きられそうだ。未来は明るい。

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