見出し画像

そのカードを使う時は、今だ!

子供の頃に、祖母の家でタロットカードというものを手にしたことがある。

引き出しから現れた不思議な図柄の秘密めいたそのカードは、子供心を大層そそったのだけれども…「占いに使うのよ」と教えられただけで、さっさと取り上げられてしまった。今考えれば集まった親戚達の前でわざわざしまっていたものを取り出したのだから、祖母も恥ずかしかったのかもしれない。

その後もタロットカードというのは、漫画や小説に占いの道具として現れて。その度に独特の魔術的な雰囲気にそそられ、そこはかとなく惹かれ続けた。しかし同時に、そういったものを所有することにどこか恥ずかしさを覚えていた。だから興味や好奇心は持ちつつも…タロットカードと自分の仲は、気になる相手以上には進展しなかった。

* * *

その憧れのカードをついに自分の手にしたのは、一人暮らしを始めてからだ。

ネットで購入して、確実に自分が受け取る。誰にも見咎められない…そんな環境になって、初めて思い切って手にしてみようと思えた。それくらい、欲しがっている所有していると知られるのに妙な照れ臭さを感じていたのだ。

しかしそうやって、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで手に入れたカードだったけれど…なぜか占いにはハマらなかった。考えてみれば特に占いたい内容がある訳でもなく、また自分のことは主観が入りがちなので読み取り辛い。かといって、手当たり次第に誰かを占ってみたいという程でもなくて…

はっきり言えば、速やかに飽きた。一応カードの意味やスプレッドも勉強はしたのだけれど、そもそもの動機が「占いをしたい」ではなく「秘密めいたカードを所有して、その絵柄を眺めて楽しみたい」だったのだ。手元にあって気が向いた時に適当に引いてみたり、出た絵柄を眺めていれば満足なのである。


とは言いつつ、せっかく手に入れた憧れのカードだ。ファンタジー世界の小道具だ。数年おきに思い出しては使いこなそうと、チャレンジはした。びっくりする程当たってたと言われたこともある。視えるという人に「占い師は向いている、極めればカリスマにも…!?」と言われたこともある。

しかしモチベーションというものが存在しなければ、どうにも物事というものは続かないのだった…。

と、突然にここで話は写真展の準備に戻る。

「なぜタロットカードを持っているのか?」という前置きが長くなってしまったけれど。写真展のギャラリー候補選びで悩んでいた時に、「ああ!自分は今、迷っているぞ!そうだ、ついにあれの出番が…!」と閃いたのだ。

「今こそ、憧れのタロットカードを使いこなす絶好の機会ではないか…!」と。


*************
スキ・フォロー・クリエイターサポート、すごく嬉しいです。
書く励みになってます、ありがとうございます!

広島で、大人から子供まで人物の出張撮影をしています。自然な情景を、その時間を…切り取って残したスナップ写真は、お客様だけでなく自分にとっても宝物。何かありましたら、ぜひどうぞ!

ユルリラム
http://yururelam.web.fc2.com/

サポートはたぶん、うちのかわいいワルチーズのおやつか好物のささみに化けます…!