だから山は削られる!:だだっ広い斜面のなぜ?part2【災害から身を守るvol.9】
さて前回は、だだっ広い斜面の謎を追っていきました。
コレですね。
スーパー地形(カシミール3D)より抜粋
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト)
※トップ画像を含め、以下の画像すべて引用もとは同じです。
地質を詳しく
では地質を詳しく見ていきます。
20万分の1地質図幅「鳥取」:地質調査所 より
まず尾根に分布している茶色の網目模様のAという地質。
これは新第三紀鮮新世(しんだいさんきせんしんせい)に噴出した安山岩や玄武岩の溶岩。つまり硬い岩石です。
そして尾根を越えた反対側の南側の斜面も同じ溶岩でした。
この時代は人類の時代と呼ばれる第四紀の1つ前の時代(約500万年前~258万年前)で、大陸の配置や気候、動植物相など、ほぼほぼ今の地球環境と同じだったそうです。
周囲の地質と比べて一番新しい地質なので、上に載ってます。
この西隣に見える茶色のTaという地質は、Aの溶岩より少し前の時代に噴出した安山岩の溶岩や火砕流などの堆積物。これも硬そうです。
5万分の1地質図幅「若桜」:地質調査所 より
今度はコチラの地質図を見ましょう。5万分の1のほうが詳細なので。
南東部の茶色のVsは上のA、肌色のPaは上のTaと同じです。
つまり、安山岩や玄武岩の溶岩ですね。
Paの西隣(下)の薄緑色のM6は新第三紀中新世の泥岩です。
化石の分析によると、泥岩の下部は植物破片が含まれてるので湖沼や湿地。
上部は魚や貝の化石を含む、深海だったみたいです。
そして重要なポイントが、層理面が良く発達していること。
つまり地層の縞々がハッキリしているということです。
そしてさらに西(下)にある濃い黄色のM5は泥岩より少し古い時代の砂岩や礫岩で、浅海だったようです。
さらに西(下)の薄茶色などの地層は時代がガクッと古くなって古生代の変成岩類。
つまり、西へ行くほど下(古い)の地層が出てきているのですね。
泥岩が少ない!
そうなんですよ。もう1回、地質図を出しますね。
水色で描いた舂米川(つくよねがわ)を挟んだ対岸では、ずいぶんと西の方まで薄緑色のM6泥岩が広がっていますよね。
それと比べると南側は、かなり少ない。
これはどういうことかと言いますと・・
・もともとは、南側にもM6泥岩は西まで広く分布していた
・しかし浸食作用などにより削られて流され、下(古い)の変成岩がむき出しになった
こうだと考えられます。
そしてこれが、このだだっ広い斜面をつくることになったと思います。
その原因は、コレ!
泥岩(普含寺泥岩部層)の露頭:上村ほか(1979)より
これはM6泥岩の露頭の写真。
横方向に伸びる線が目立ちますよね。これが層理面です。
ここまでハッキリしていると、ハンマーで叩けば、層理面に沿ってパカッと割れます。つまり層理面に沿って分離しやすい。
そして、こう言う地層は地すべりになりやすいんです!
この層理面が地すべりのすべり面になるんですね。
そして、これを見てください。
これは地層の傾きの方向を表す記号です。
ヒゲが出ている方向に傾いています。つまり北西傾斜。
そしてヒゲの先端に数字がありますよね。これだと「8」に見えるんですが、拡大してみたら「5」でした。
つまり、傾きの角度が5度ということです。
かなり緩やかな傾斜。ほぼ水平ですよね。
でも、この緩やかな傾斜がキモなのです。
もちろん、急角度ほどすべりやすいです。
でもその場合は一気にバサッと崩れる。つまり「崩壊」になりやすい。
緩やかな角度だからこそ、ジワジワと動く地すべりになるのです。
そしてその結果が、「新しい地層」なのだと思います。
コレですね。
地質図では完新世(約1万年前から現在まで)の崖錐堆積物(崖から落ちた岩がたまったもの)と書いてありますが、う~ん、どうでしょう?
私は地すべりではないかな?と思うのですが、これについては次回で詳しくお話しします。
今回はここまで!
次回は、このだだっ広い斜面が出来た歴史(あくまで私の仮説)についてお話ししたいと思います!
お読みいただき、ありがとうございました。
参考文献
上村不二雄・坂本 亨・山田直利(1979)5万分の1地質図幅「若桜」、地質調査所.
上村不二雄・坂本 亨・山田直利(1979)若桜地域の地質.地域地質研究報告(5万分の1図幅)、地質調査所、91p.
村不二雄・坂本 亨・山田直利・猪木幸男(1974)20万分の1地質図幅「鳥取」,地質調査所.
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