なぜ西ほど侵食しているのか?:だだっ広い斜面のなぜ?part4 【災害から身を守るvol.9】
さて、これまで鳥取県南東部のだだっ広い斜面のナゾを追ってきました(過去記事はコチラとコチラとコチラ)。
今回でいよいよラストになります!
なぜ北東だけ地すべりが残ってるの?
当然、そのように疑問に感じた人もいると思います。
これには、こんなワケがあります。
以前もお見せした層理面の方向をあらわす記号。
北東の記号もだいたい同じ方向で、対岸は少しズレて北北西の傾斜ですが、だいたい同じ方向。
そしてこの方向は斜面の傾斜方向とだいたい合っています。
斜面の傾斜方向は、だいたいこんな感じです。
層理面と斜面の傾斜方向が同じなら、当然すべりやすいです。
また川の下流側の方がより低い場所が削られていきます。
ですので、下流側の西の方の斜面ほどM6泥岩が早くから地上に露出し、地すべりになってどんどん動いたのでしょう。
一方、北東の斜面の場合は・・・
こうです!
南側の地すべりは、下の方こそ西北西で層理面の傾斜方向にだいたい合います。でも上の方は南西向き。
地層的には北西に動きたいのに、山の方向は南西なので動きづらい。
でも舂米川に面した部分がジワジワと北西へ動き、それに引っ張られるかたちで上の斜面も動き始めた。
南西に隣接する斜面がいち早く地すべりとして動き、浸食が進んで南西側に深い谷ができていますよね。
ここが低くなったことで南側地すべりが動きやすくなった。だからこちらの方が古くから動いていた晩年期の地すべりなのでしょう。
一方、北側地すべりはまだまだ南側地すべりが邪魔をしてるので動きづらい。かろうじて末端部分が北西へ動くため、途中で曲がってるんですね。
だだっ広い斜面の歴史
どうでしょう?これで謎が解けました。
〇西ほど川の下流のため、早くから地すべり化した。
〇斜面の傾斜方向と地層の傾斜方向がほぼ同じなため、地すべりはどんどん動いた。
〇そのため一様に浸食が進み、同じ方向の広い斜面がつくられた。
(※特定の場所だけ削られると違う方向の斜面をもつ小刻みな地形になる)
〇北東部の斜面だけは、斜面の傾斜方向と地層の傾斜方向が合わず、地すべりが動きにくかったため、現在も残っている。
と、こんな歴史だったと思われます。
反対側の斜面は??
そうそう、この斜面の反対の南側の斜面は、わりとノッペリしてるんですよね。
コレです。やはり北の斜面より滑らかで穏やかな雰囲気ですよね。
当然、これにも地質が関係しています。
赤線が尾根で、その下が南側の斜面です。
緑色が安山岩・玄武岩の溶岩。こちら側はだいぶ広く残っていますよね。
そしてその下には赤や茶色の柄模様の地質です。
これらは白亜紀から古第三紀の比較的古い時期に噴火した流紋岩や安山岩の溶岩と火砕流堆積物。けっこう硬い地層です。
地すべりとして滑りやすそうな泥岩は茶色横線のAsなのですが、少ししか分布してません。
つまり、南側の地層は地すべりになりにくいため、浸食が進みにくく、ノッペリした斜面がのこっているのでしょう。
いかがでしたか?
地球では、山が新たにできては、浸食されて消えてしまうという歴史が繰り返されています。
でも地質と地形との兼ね合いで、それぞれの場所が独自の歴史を持っているのですね。
地すべりなどの土砂災害は人が巻き込まれれば、恐ろしくて悲しい現象です。
しかし大地のダイナミックな歴史の一部と捉えれば、少し印象は変わるかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。
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参考文献
上村不二雄・坂本 亨・山田直利(1979)5万分の1地質図幅「若桜」、地質調査所.
猪木幸男(1981)20万分の1地質図幅「姫路」,地質調査所.
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