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【江戸時代に変わった地名】ゆるく楽しむ月曜地質学:2024年6月3日号

仙台はここ数日、天気が悪く肌寒い日が続いています。
もしかして梅雨入りか?とも思いましたが、まだまだ先のようです。
日曜日は色々あって書けなかったので、今週は月曜日に投稿です。


地名が変わっちゃってる??

本編の「日本の歴史と地形・地質」では、現在三方ヶ原の戦いをテーマにしておりますが、この執筆中に面白いことに気づきました。
もしかしたら、本編を読んでいただいた方々の中にも気づいた人がいるかも??

三方ヶ原とは?

三方ヶ原の戦いとは、戦国時代の戦(いくさ)で、武田信玄vs徳川家康の戦いです。
「若かりし日の家康が信玄にボロ負けした戦い」として有名です。
この戦場となった三方ヶ原は、現在の静岡県西部の浜松市にあります。

三方ヶ原周辺地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

上図の左にある大きな水たまりが浜名湖で、その東にある平坦面が三方ヶ原です。
この平坦面は約13万年前から約1万年前の段丘堆積物で形成された台地です。つまり、昔の河川の堆積物です。
地名を見る限り、赤丸で示した一帯が三方ヶ原と呼ばれているようです。

三方ヶ原周辺地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

なお現在は「三方原」と書くようですね。

古地図を見ると???

ところがどっこい!!
古地図を見てみると、何やらおかしいんです。

三方ヶ原周辺の古地図:遠江国絵図(国立公文書館デジタルアーカイブより)より

真ん中を見てください。
おやおや??
「味方原」って書いてあるではありませんか!
なぜ字が違うのでしょう?

インターネットで検索してみても、このことについて記述しているものが少なく、文献によっては「味方原」と書いてあることもあるという情報がありました。
また戦(いくさ)の後に織田信長に「もっと味方(援軍)が欲しかった」と訴える目的で家康が表記を変えたという説もあるとか。

なるほど。どうも良くわかってないらしいですね。

そこで私の説ですが
三方ヶ原は「家康がボロ負けして危うく命を落とすところだった」という、江戸幕府にとっては非常に縁起の悪い地名ですよね。
だから「縁起の良い『味方』という字に変えた」のではないでしょうか?

みなさんは、どう思いますか?

今週の予告

今週も「三方ヶ原の戦い」をほぼ執筆済みで、都道府県シリーズはこれからになります。
今週も執筆に時間をとれる予定ですので、投稿できると思います。

〇6/5 水曜日:日本の歴史と地形・地質
「三方ヶ原の戦い」を地形・地質的観点で見るpart16【合戦場の地形&地質vol.5-16】
※タイトル変更します

〇6/7 金曜日:都道府県シリーズ 2週目
宮崎県宮崎市のとある地域の地形・地質について
※タイトル変更します

では、今週もよろしくお願いいたします。

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