湖だったかもしれない?まずは証拠を探します:河川の変な流れ探索part6(岩手県南東部中山間地域)【流域を考える旅vol.1】
岩手県一関市の東部を流れる河川を見ていく旅。
前回はそれらの歴史について考察を始め、千厩川と大平川までお話ししました。長くなってしまったこのシリーズもいよいよ終盤です!
それぞれの川の歴史②
では早速、残り4河川の歴史を考えてみましょう。
様々な地形状況から考察した結果、非常に大胆な仮説ではありますが、砂鉄川中流域、興田川下流~中流域、曽慶川、猿沢川中流域一帯は湖だったのではないか?と考えました。
この湖の中心部付近が旧大東町(だいとうちょう)であることから、古大東湖とでも名付けましょう。
もちろん実在したかどうかは分かりませんが、私がなぜそう考えたのか?
根拠を1つ1つお話ししていきましょう。
深いV字谷
砂鉄川が中流域から下流域へ出る場所、そして猿沢川が砂鉄川に合流する手前に深いV字谷があります。
赤丸で囲った場所です。深くえぐられていて、かなり目立ちますよね。
それぞれの断面図を見てみましょう。
まずは砂鉄川。この様な方向で切ってみます。
深い谷ですよね。
谷底の標高は約30m。山頂は右側が約200m、左側は約170mです。
次に、猿沢川。この様に切ってみます。
こちらもなかなかに深い谷です。
谷底の標高は約60m。山頂は右側が約170m、左側は約200mです。
つまり、谷ができる前は山がつながっていたとすると、低くても約170mの高さだったと考えられます。
平坦地と台地状の地形
以前から平坦地に着目していましたが、実はその他にも気になる地形がありました。それは山頂部が平坦な台地状の地形です。
ここでは代表的な場所を赤丸で囲ってみました。
このほかにも小規模なものはあちこちに点在していたり、段丘と思われる台地も見られます。
これらの標高は、だいたい100~170m。
想定される古大東湖を取り囲んでいた山は低い場所でも170m程度と想定されますので、湖の堆積面と考えて問題なさそうです。
ガリ―浸食のような地形
「ガリ―浸食」って聞いたことはあるでしょうか?
軟らかめの地質が水の流れで削られてできた地形のことです。
例えば、雨が降った後の砂場とか校庭のはじっこなどで、溝ができているのを見たことありませんか?
それを想像していただけると分かりやすいと思います。
このガリ―浸食のような谷地形も、実はずっと気になっていたんです。
こちら、どうでしょうか?
もっとアップで見てみましょう。
分かりやすそうな場所を赤丸で囲ってみました。
まるで鋭いツメで引っかかれたかのような、生々しい傷痕のような地形ですよね。近くの他の谷と比べると違いが分かると思います。
それぞれ、もう少しアップで見てみましょう。
西の地域です。
北東の地域。
東の地域。
ガリ―浸食とそれ以外の地形のだいたいの境界線を描いてみました。
やはり谷の形状は全く違いますよね。
さて、これで手掛かりはそろいました。
いよいよ、次回は古大東湖がどんな姿だったか?お見せしたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
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