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北上川と仲良くなったもん勝ち?:河川の変な流れ探索part5(岩手県南東部中山間地域)【流域を考える旅vol.1】

前回まで岩手県一関市の東部を流れる6河川についてアレコレお話ししてきました。
今回はそれらの歴史について考えてみたいと思います。

非常に「特異」な曽慶川

そうなんです。
この地域の河川の中で一番の異彩を放っているのが曽慶川です。
と言うのも、下流域の標高が非常に低い。

位置図

スーパー地形(カシミール3D)より抜粋した図をもとに筆者作成。
なおカシミール3Dは元データとして国土地理院の「電子国土」を使っているそうです(出典:国土地理院ウェブサイト
※トップ画像や以下の地形・地図画像すべて引用もとは同じです。

こうやって色で見ると一目瞭然です。
やや濃い目の緑色で、この地域の中で一番低いです。
そして狭窄部なので見えにくいですが、砂鉄川が曽慶川と合流する手前の流域も同じような低さです。
これは、それだけ浸食が進んだということを示しています。

それは何故か?


流域面積を見てみる

答えの1つは「流域面積」だと考えられます。
流域とはその川に流れ込む支流を全て含めた区域で、その区域内に降った雨全て、その川へ流れ込みます。
つまり流域面積が大きければその川の流量も多くなります。
流量が多ければ当然、浸食力も強くなります。

では、見てみましょう。

全水系

実は興田川と砂鉄川は背後に高い山が続いているので、対象地域より外側まで流域が広がっています。
パッと見ただけでも他の川とはケタ違いですよね。

一方で大平川は非常に小さい。
そのため浸食力が弱く、広い谷ができなかったのだと考えられます。
しかし地質は風化しやすいので流域内で支流が合流するなどして取り残された平坦地がつくられたのでしょう。

北上川までの距離は関係ある?

これもずっと気になっていました。
北上川は東北最大の河川ですし、流量は非常に多い。となれば抜群の浸食力で、川の標高は周辺で地域で一番低いハズです。
その北上川とつながった川は、その分浸食力が大きくなります。落差が大きければ流れるスピードが速くなるので削れやすくなるからです。

北上川までの距離

これを見てナルホド!と思いました。
近い順から、千厩川→大平川→砂鉄川(興田川・曽慶川含む)→猿沢川ですね。

もしも砂鉄川流域が一番北上川に近ければ、もしかしたら地域内の水を全て集め、この地域一帯が本当に盆地状の地形になっていたかも知れません。
でもそうではなかったがために、それぞれの川に歴史が生まれたのではないか?と考えられます。


それぞれの川の歴史

ではそれぞれの河川の歴史を想像してみましょう。
今回は論文など見つかりませんでしたので、地形・地質情報をもとに、私自身が考察しています。

①:大平川
こうして見てみると千厩川の流域、だいぶ大平川本流まで迫っていますよね。もしも大平川が北上川につながる時がもっと遅ければ、千厩川に取り込まれていたかも知れません。
でも大平川には、南の方に本流である黄海川(おうみがわ)という強い味方がいました。
地域外なのでここでは詳しく触れませんが、実は黄海川の流域面積はわりと大きいのです。
大平川そのものは流域面積が小さく浸食力が弱いですが、黄海川とつながってしまえば、北上川とつながったも同然です(笑)
もちろん長い歴史の間に河川が氾濫して土砂が溜まったこともあるでしょうが、他の河川と比べて少なく、幅の広い平坦地が形成されなかったと考えられます。

流域_千厩川_大平川

②:千厩川
流域面積はまぁまぁ大きめですので、それなりの流量はあります。
でもひん岩の貫入によって硬めの山地が多いためか、中流域の浸食が進まず、狭窄部の多い川になりました。
そのため、上流部はたびたび氾濫し、時代によっては湖沼や湿地だった時もあったかも知れません。
そのため上流には谷幅の広い平坦地がつくられたと考えられます。
しかし北上川との距離が近かったため、つながって以降は川の水がスムーズに流れやすくなり、それ以上平坦地は大きくならなかったのでしょう。

さて長くなってしまいましたので、次回へ続きます。

お読みいただき、ありがとうございました。

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