平穏な時代の砂山地形とは?:北部平坦~中山間地域【都道府県シリーズvol.20京都府part1】
プロローグでは京都府を11の地域に区分しました。
今回は「北部平坦~中山間地域」の地形と地質を紹介します。
場所の確認
まず場所の再確認をしましょう。
北部平坦~中山間地域は上図の①です。
図のように京丹後市・伊根町・宮津市・与謝野町の各地域になります。
地形を見る
では地形を見ていきましょう。
下の図は地形区分境界を入れたものです。
主要な谷地形が3つあり、特に真ん中の地域は全体的に山も低め。
そして両サイドの谷は標高が低くて広い平坦地が目立ちます。
また北東の沿岸部はポコポコと小刻みに山が連なっていて、特徴的ですよね。
まず東の平坦地を見てみましょう。
国土地理院地形図をかぶせてみたら、なんと浅い海でした!
まるで谷を堰き止めてるような南北に細長い地形(図の右上)は、あの有名な天橋立(あまのはしだて)です。
先日のブラタモリは天橋立だったようですが、残念ながら私は見逃してしまいました。
どうやって出来たか?の話はあったのでしょうか?
次に、西の平坦地(?)も見てみましょう。
やはり海でした!
面白いですよね。なぜこうなったのか?
いずれ取り上げてみたいと思っています。
大地の成り立ち
ではこの地域がどんな歴史をたどってきたのか?
地質図を見てみましょう。
こちらです。ピンクが目立ちますね!
地形区分の境界を入れました。
この地域の地質的な歴史イベントは、大まかに3段階に分けられます。
順を追って話しましょう。
①:新生代古第三紀暁新世(ぎょうしんせい)~始新世前期
約6600万年前から4800万年前、恐竜が絶滅した直後の時代です。
本来はもう少し前の時代(約8000万年~7000万年)の火砕流堆積物(凝灰岩類)がありましたが、そこにマグマが大規模に貫入します。
火砕流堆積物のほとんどがマグマに飲み込まれ、この地域では上の赤丸にしか残っていません(もっと南には広く分布します)。
そしてマグマは、地中でゆっくり冷えて花崗岩になります。
これがこの地域で広く分布しているピンクの地質です。
そしてその直後に流紋岩やデイサイト(流紋岩と安山岩の中間)のマグマが花崗岩に貫入しました。
濃い茶色で、下の三か所の赤丸です。
②:新生代新第三紀中新世
①の時代から約2800万年が経過した約2000万年~700万年のあいだに、この地域は陸地からだんだんと海になっていきます。この時に礫岩や砂岩・泥岩が溜まりながら、各地で火山活動が起こります(※上図赤点線範囲)。
マグマの成分は玄武岩から流紋岩まで、少なくとも3回の火山活動があったようです。
③:新生代第四紀更新世~完新世~現在
約258万年前はだいたい今と同じような地形になり、現在までの間に河川堆積物や砂丘堆積物がたまり、現在に至ります。
上図の赤点線と各地の河川の薄青・薄緑の範囲です。
ちなみに天橋立は砂丘堆積物でできていて、完新世(約1万年~現在)に形成されました。
それにしても、やはり日本はいつの時代も火山が多かったと思い知らされます。そういう意味では今は平穏な時代なのかも知れません。
平穏だからこそ、天橋立のような、一見脆そうな「砂の地形」ができたのでしょうね。
以上、お読みいただき、ありがとうございました。
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