武田軍本体は日本一有名な〇〇を通ったのか?:「三方ヶ原の戦い」を地形・地質的観点で見るpart3【合戦場の地形&地質vol.5-3】
歴史上の「合戦」を地形・地質の観点で考えるシリーズ。
「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」は、徳川家康が武田信玄に大敗した戦として有名です。
前回は武田軍別動隊の行軍ルートから「速さ重視の先鋒部隊」ではないかと想定し、まさに「侵略すること火の如く」であるとお話ししました。
一方、武田信玄率いる本体はどんなルートをとったのか?
見ていきましょう。
青崩峠を探せ!
武田軍本体22000人は、山県隊出陣の4日後に甲府から出陣。
山県隊と同じく、まず諏訪へ向かい、青崩峠から遠江国へ侵攻しています(ウィキペディアより)。
「青崩峠」と言う名前から、おそらく塩基性片岩(えんきせいへんがん)の地すべり地帯なのではないか?と、私ながらの推測です。
塩基性片岩とは、玄武岩質の岩石が地下深くで圧力の作用を受けて変成した岩石です。風化が進むとボロボロになって粘土化し、地すべりになりやすいという特徴があります。
塩基性片岩は別名で緑色片岩とも呼ばれます。
つまり緑色の地質で、地すべりになって崩れやすいので「青崩」と名が付いたのではないか?と想像できます。
遠江国は現在の静岡県西部。
つまり長野県と静岡県の県境であり、そのあたりは塩基性片岩の分布地帯があるハズ!
などと考えながら探してみました。
ここです!
と言ってもどこか分かりませんよね。引いて見ましょう。
青丸が青崩峠、赤線が国道152号線です。
これで大まかな場所のイメージはできるでしょうか。
青崩峠はどんな場所か?
実はこの青崩峠、地形的にとても特徴的な場所に位置しています。
国土地理院地形図では分かりにくいので、地形図だけで見てみましょう。
どうでしょうか?
何か目につきませんか?
赤点線を引いてみました。
溝のような、深く細い谷が直線状に伸びていますよね。
地質図を見てみると・・・
だいぶゴチャゴチャしていて分かりにくいですが、さきほどの谷地形に沿って黒線が見えませんか?
こんな感じです。
この黒線は「断層」を示しており、この断層は中央構造線という断層で、日本で最も大きく、有名な断層と言えるものです。
「聞いたことがある!」と思う人は多いでしょう。
地形図をさらに引いて見てみると、その凄さが分かります。
どうでしょう?見えますか?
伊那盆地のすぐ東に、北北東から南南西方向に細く深い谷が線状に伸びていますよね。
ちなみに図の上端に見える青色は諏訪湖です。
おや?
武田軍本体は甲府から諏訪へ向かい、そこから青崩峠を通って遠江国に侵攻したのですよね。
。。と言うことはもしかして、武田軍は中央構造線に沿って進軍したのでしょうか?
これは古地図で確認せねば!
と言うことで、次回に続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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