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線が引けるようになった/思い出しただけ(※若干思想強め)

以前は悲しいニュースやムカつく話題を見て、同じように、なんなら当事者以上に感情が揺さぶられていたけど、最近は少し落ち着いてきた。
というかあまりにもいろんなことが茶番すぎて、「ほー、なんかあっちの世界は大変なんやなあ」みたいな、良くも悪くも他人事の感覚。


「背負う必要のない他人の感情に振り回されて疲弊する」、というのはHSP気質の人あるあるだと思うけど、これは本当に無駄なエネルギーの浪費でしかない。100歩譲って好きな人や大切な人のためならまだいいけど、そうでもない人にまでとなると本当にキリがないし無駄である。



以前の私だったら、そういう人のことを「冷たい人」だと思って否定的に捉えていたかもしれないが、今は逆に「他人や外側の事象に必要以上に振り回されず自分を保っていられる人」であり、もっと言えば「波動を落とさず保っていてくれる貴重な存在」だと思うようになった(笑)。
(もちろんただのサイコパスみたいな人もいるだろうけど)

こんなにも狂気じみた世界で、それらに動じず平穏を保っていられる。
私はまだそこまで完璧に割り切れているわけではないので、まだ少し"意識してなんとかその境地にいようと努めている"感覚だ。
まあその意識を持ってそう在ろうと努めているだけでも、自分の中では合格点なんだけど(笑)。

だからまた最近救急車のサイレンを聞く回数が増えてきても、著名人の訃報が続いても、街中の杖&車椅子率が相変わらず高くても、小さな子どもから強烈なワク臭がしても、※お悔やみ欄におそらく父方の親族であろう人たちの名前が数ヶ月の間に10名近く載っていても、「私の感情」はさほど揺さぶられてはいない。
(※うちは親戚付き合いも希薄で誰がどの立場の人なのかも全然分からないし、確認したわけじゃないからもちろん詳細は分からないけど、住んでいる地域と名前的に可能性は高そう)
(やっぱり地域ごとのロット差ありそうだな)



行き過ぎるとただの冷徹人間になってしまいそうだし匙加減は難しいけど、結局のところ「その人(私)にとって必要なことが起きている」わけで、求められてもいないのに他人が過度に介入するのも、それはそれでこちらの業にもなりそうだし、結果的に双方(全体)にとって良いことではないだろうから、そしたらもう静観するしかないよなあ、という境地になっている。


というかそもそも私の中では「愛=自由・尊重」であり、「大切であればあるほど結局は何もできないなあ、"何かしたい"というのもエゴだよなあ」と思っていたので、シンプルにそれを改めて思い出しただけだった。
っていう話しでした。




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