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ファーストラヴ

「なぜ娘は父親を殺さなければならなかったのか?」

帯のこのコピーにつられて本屋で思わず手に取った島本理生さんの「ファーストラヴ」。

初めて読んだのは2年くらい前な気がするが、何度も読み返してしまう一冊だ。今年に入ってから映画化されたこともあり、また読み返していた。

アナウンサー志望の女子大生が父親を刺殺した容疑で逮捕され、その少女と臨床心理士の主人公のやりとりから、少女の過去と事件の真相が明らかになっていくという物語。

主人公は少女の心の世界に一歩一歩踏み込んで、過去やその感情、経験を拾い集めていく。この少女の心の世界に起こっていたことは、特殊なことでもなんでもなく、多くの人の心の世界に通ずるものでもあると感じる。

生まれてきて、自分を取り巻く「世界」から弾き飛ばされたり、否定されたり、存在を無視された時の絶望と孤独。生命が脅かされるという生物としての根源的な恐れ。人間は社会的な生き物だから、余計に強くそう感じるのかもしれない。

人が生まれてきて初めて出会う世界は「家族」だ。

もしかしたら一生、その中で生きていく人もいるのかもしれない。それくらい、人にとって生まれ育った家族というのは大きな存在だろう。

この家族という小さな、絶対的な世界の中で起きたできごと一つ一つを明確に覚えてなんていないし、何に傷ついた、何が悲しかったなんて、心の傷をいちいち数えてなんていない。傷ついたことにすら、気づいていないのかもしれない。

でも、ある程度大人になってふとした瞬間に呼び起こされる過去、経験、傷。その時、人は今まで置き去りしてきた自分自身と向き合う。

誰でも、ずっと昔に置き去りにしてきた感情や経験というのはあると思う。「なかったこと」「経験してないこと」として処理した何か。もしくは、書き換えた記憶。

それを一生見てみないふりをして知らないふりをして生きていける人は、とても強い人なのだろうなと思う。

なぜその感情や経験を置き去りにしたり、なかったことにしたかって、そうしないと生きていけなかったからだ。その時その傷に泣いてしまっていたら、傷を受け入れてしまったら、とても生きてはいけなかったから。

愛されない。周りから受け入れてもらえない。認めてもらえない。世界から必要とされていない。

世界から愛される、受け入れられるために人は「振る舞う」ことを覚える。いつしかその振る舞った自分が本当の自分なのだと思うようになって、弱くて醜くて愛されない自分は、本当のあるべき自分ではないのだ、間違っているのだ、と切り捨ててしまう。

置き去りにした感情や経験をなかったかのようにするのも、過度に美化するのも、こうした人間の心の防衛本能からきているものなんじゃないかと思う。

「私は嘘つきなんです」

「都合の悪いことがあるとすぐ逃げたくなって、ぼうっとして、だからあの時も、殺したことを隠そうととっさに嘘をついたんだと思いました」

「私に尊敬されるところがないから」

少女はこうした自虐的、自罰的、自分自身のことなのにどこか遠くにいるような発言をする。この一つ一つが、生きるために切り捨てられてきた、世界から否定され続けた存在の声無き声のようで、胸が苦しくなる。

「どうして自分の心の声を聞いてあげないの?」

物語の終盤、主人公が少女に語りかける一言だ。この自分の心の声を聞いてあげるということが「自分を愛する」ことの原点なのだと、この話を読むたびつくづく思う。

ファーストラヴというタイトルは「初恋」という意味だが、この本の読書感想文をネット読んでいた時になるほど、と思ったコメントがあった。

「ファースラヴ=初めて愛する」。愛するのは他でもない、少女自身が自分のことを初めて愛して大切にしてあげるということ。

こうした意味が含まれていると考えてタイトルを捉えると、読後に感じる気持ちがグッと高まる。


私にとっても小さいころは、家族は世界の全てそのものだった。誰しも程度は違えどその感覚はあるんじゃなかろうか。お父さんとお母さんは絶対君主的に正しくて、なんでもできて、私のことを育てて守ってくれる。そのかわり支配もしてくるし、干渉もしてくる。

成長するにつれ、父も母も普通の悩めるただの大人で、全知全能の神でもなんでもないのだと悟る。そうして親と対等な関係になっていって徐々に親離れしていく、というのが自然の流れだろうか。

そうして大人になったころに、子供のころに感じていた、正確には当時は名前のつけようがなくて捉えきれなかった感情が表に噴出してくることもある。

どうしようもなく悲しくて苦しくて、でももうそれを誰のせいにもできない。

家族という真綿のような柔らかく温かい世界の中で日々守られながら、何度も窒息させられそうになったこと。その中でなんとか呼吸をして生き延びるために切り捨ててきた自分自身。

その自分自身と向き合うも、見ないふりをして強く強く生きていくのも、大人になった自分自身の選択だ。

大人になったあとの世界は、あのころみたいに誰も守ってはくれないけれど、その分自由で、そして少し孤独だ。

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