見出し画像

落ちこぼれ就活生のお散歩日記

今日、天気が良いのでぷらぷらとお散歩をしていた。直感で行く先を決めながら気ままに歩く。こういうの、好きだ。

人生もこんな風に気楽に進路を決断できたらいいのに。なんて思いながらひたすらただ歩いた。

おじさんが一人で車に荷物を積んでいた。その様子を見て、少し親近感が沸いた。なんだろうこの気持ち。人間一人で、誰に指示される訳でなく、作業する様子ってなんだか尊い。

コンビニのアルバイトのようにマニュアルの指示通りに、個性(人間らしさ)を無にしてただ行動する様子は気持ち悪いって感じる。

だってロボットとおんなじじゃん。それでいてヒマな時間はスマホでSNS。(←これはかなり偏見だけど)SNSを運用している会社の多くは企業の広告によって収入を得ている。閲覧時間をどれだけ多く稼げるかを熱心に研究して、私たちから時間を奪う。SNSに夢中の私たち(イメージしているのは私と同年代の大学生)はその餌食という訳で、つまりずーっと意図せず誰かに行動を支配されている的な、人間として生きていくはずが、そうなっていないみたいな、強い違和感を覚える。

それと対局を為す、自分のために物理的空間で作業をしているおじさんが、本来の人間らしくて、素敵で、もっとこういう時間が誰しもに増えたらいいなって思った。

物理的空間で作業をしているおじさんには話しかけやすいけれど、スマホのようにバーチャル空間に居る人には話しかけづらい。空間を共有していてもどこか遠い世界に居るようだ。

今はみんなヒマな時間もスマホばっかり見ていて、物理的な空間で動くことが減っている。世の中が便利になったのは良い面ももちろん大きいけど、悪い面もあるよなあ、、、。

なんてぼーっと考えながら気がつけば3駅分ほど歩いていた。

目の前にはそびえ立つ、アサヒビールの工場があった。近くで見ると、こんなに大きいのか!と驚く。

こんなに大きい物、人間一人では絶対に創れない。

大企業が下請けを苦しめる社会事例の映画に影響を受けて、大企業は悪!という風に捉えてしまう悪い癖があると自覚していたけれども、アサヒビールの工場を見て、

これ創るまでに色んな人のドラマがあったんだろうな。とか、こんなに人・物・金が集中しないと実現できないようなものが、ここにあるってスゲー(奇跡だ)な。取りまとめる経営陣も苦労してきただろうな。これはその携わった人みんなの結晶なんだな。。

などと、めっちゃ尊さを感じた。

アサヒビールの尊さを感じたとき、

9月になっても進路が決まらない落ちこぼれ就活生の私はどこか遠いところばかりを見て、足下を見ていなかったのかもしれない。

あんまり欲張って無理せず、等身大の私で、できることからやっていけばいいじゃんか!

なんだかそう思えたのだ。

唯一心の底から甘えられる家族からも、あんたは自分が無い。と言われ

就活相談にいけば、お前みたいな甘ちゃん、今は大学生だからみんな優しくしてくれるけど来年からはだれも相手してくれないよ。と言われ、、。(; ;)

今まで自分のやりたいことを見つけるため(自分を見つけるため)にキャリアスクールに通ってみたり、プロのカウンセリングを受けたり、セルフコーチングを学んだり、、この約1年半はめちゃくちゃもがいてきた。

セルフコーチングを学んで、言われたとおりに自身の無限の可能性を信じてきたけれども、信じることも大切なんだけど、選択肢を広げすぎて意味が分からなくなっていた。

それ以前に、今私はここにいる。ここに生きていて息をしている。ただその現実があるだけなのに、架空のバーチャル空間で夢をみてうなされていただけではないか。

探すから見つからなかった、私はここに居たんだ。

まだ来年から何やるか、決まってはいない。でも、もうすぐ見えてきそうな気がする。私は只生きて息をしている。その事実がここにあるだけ。

運命の導くままに、なんならちょっと良くなるように、笑顔で、周りの人を喜ばせられるように。

安心して息をしていようと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?