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夢を与える

今日のタイトルは、綿矢りささんの小説から。

高校生くらいのときに読んで、ガツンと衝撃を受けた。

まずは、スリリングなストーリー展開に。「逆シンデレラ」とでも言うべきか、順風満帆としか思えなかった人生が転がっていくさまを、半分はドキドキしながら、もう半分は週刊誌の見出しを追うようなゲスい気持ちで読み進めた。

次に、一部挟まれるエロの描写に。たぶん、今読んだらそこまでぶっ飛んだものじゃないと思うんだけど、背徳感をたっぷり抱えながら読んだ記憶がある。

そして何より、「夢を与える」という言葉の意味に。
作品中に出てくるように、この言葉はよく芸能界で多用される。口にするとき、たぶん人はそんなに深く考えてない。だからこそ、恐い。

夢を与える、という言葉は、上から目線で使われる言葉だ。無意識のうちに、自分が相手より高いところにいて、相手より夢をたくさん叶えていている、と思い込んでるときに出てしまう言葉だ。悪意なんて1ミリもなくても。

自己肯定感100%、全能感120%だった当時の私には、それは目からウロコだった(多くの女子高生は無敵な生き物なのかもしれないけど)。当然のごとく、誰かに「夢を与える」ことは正義そのものだと思っていた。自分も誰かに夢を与えたいなぁ〜、なんて、ぽやんと考えていた。

地元から出て。有名な大学に通って。おっきい企業に就職して。そしたら狭い地元の町に住む後輩たちにも、「夢を与え」られるんじゃないかな〜★なんて。

だけどこの小説を読んでから、「夢を与える」という言葉を使うのはやめた。

***

もちろん、私に夢を与えてくれる人は確実に存在する。だけど彼ら・彼女らは、私に夢を「与える」ためにがんばってる訳じゃない。

「私がしたいことだから」

そう言ってがんばっている。結果として、夢をわけてくれたり、元気を出させてくれたりする。

・・・なんて偉そうなコトを言ってる私はそろそろ、夢を見るだけじゃなくて叶える手段を本気で考えなきゃいけないのだけれど、ね。


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