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私の職務経歴書〜もらった仕事と誘いは全部ノル!

はじめに

自分のこれまでの職務経歴は、自分でやりたい!よりも「これやってみる?」と勧められたものに乗ってきた人生でした

キャリア形成につながった部分は以下です

①与えられた仕事はどんなものであれ、全て引き受け必ずやる

②飲み会や勉強会などの誘いは全て行く(公私共に)

③3年経ったら海外に行くと最初から決める

①は、自分の得手・不得手がわからないので、得意なものを探したかったのもあります。様々な仕事を引き受けることで、興味ない分野ややったことないことにも挑戦する機会があり、その時々でグッと成長したし、信頼を得られたと感じることがありました。また、臨床能力は当然先輩より劣るので、自分がやれることがあればなんでもやりたい!と思っていました

②は、元々人が好きでなんでも行く性格です笑。また誘ってほしいがために相当な理由がない限りは行くようにしました。新しい場所や人の出会い、ほんの些細な漫画の話でさえも「え、面白そう、今度読んでみよ!」となって世界が広がった〜今日行ってよかったなと思えました

そして、ただの飲み会でも、”生モノ”なので、その時でた話やメンバーなど、唯一無二であり「また次の機会に!」は絶対ないです。同じものは絶対ないし、次の機会がある保証もないです。その時しかないものとして考えてたので、ダブルブッキングしたとしても、19時からこの会合に行き、21時頃二次会のタイミングでもう一つのところへ移動、23時からさらにもう一つのところに顔だけ出す、とかそんな日々を送っていました笑

③大学病院は誰しも3年任期での雇用で、ずっと働きたい場合は途中で試験を受ける必要がありました。最初に考えていた青年海外協力隊は、理学療法士の募集の多くが「臨床経験3年以上」という条件があり、とりあえずは情報収集と貯金を早めにしておくべしと思っていました

おかげであれよあれよという間にスキルは身につき、仕事は訪れ、人脈も増えて楽しい日々になったかな〜と思っています!

1.大学病院(3年)

新卒理学療法士は私1人でした

・臨床

ICU、整形外科、神経内科、脳外科、小児科、心臓外科など、ほとんど担当したかなというくらい幅広く患者さんを診ました。1年目は外来も少しありましたが、後に外来リハビリは廃止となり、入院患者さんのみ介入していました

・研究

整形外科の股関節班に所属し、股関節界で有名で面倒見のいいトップのドクター(後に教授に就任されるためA教授と呼びます)のおかげで学会発表だけでなくA教授主催の勉強会や飲み会などいろいろなものに連れてっていただきました

学会発表、東海股関節セミナースタッフ、北海道の町民検診(データ集め)、股関節カンファの参加(院内、院外共に参加)、中国からの手術見学の方の対応(つまり飲み会)

・留学の斡旋

A教授が私の海外志向を知り、「スウェーデンに行くか?」と突然言われました。A教授も過去にスウェーデン留学をされており、彼の繋がりのある現地の教授を紹介され、その教授に私の留学の生活やポジションなど全て用意していただきました。これも、今このタイミングでしか行けない、青年海外協力隊はまだいつでも門戸は開いてると感じ、すぐにスウェーデン行きを決めました

・帰国後の進路をすでに決めた

A教授の飲み会やカンファに出ていたこともあり、他の病院の股関節班のドクターからも名を知られるようになりました。

その中で出会ったドクターが股関節・膝関節の人工関節専門クリニックを開業するということ、一緒に股関節班に所属していた理学療法士の先輩がそちらにヘッドハンティングされ「帰国後にどうか」と誘ってくれたこともあり、帰国後はそこでお世話になることを決めました

2.スウェーデン留学(1年)

・臨床

回復期や急性期など様々な病院に見学にいかせてもらいました

・研究

Research fellowという名前で大学病院に席をもらいました。整形外科で疫学研究をしている教授にお世話になり、統計学者の博士と共に研究・論文執筆し、帰国後にもやりとりは続いて最終的にはJournal of Rheumatologyに投稿!(A教授にとても褒められました^^)

3.整形外科クリニック(7年)

・臨床

19床の人工関節専門のクリニックで、手術予定の患者さんは手術前から外来で介入、入院中のリハビリ、術後も基本的に1年後までは経過観察。腰の疾患(ヘルニア、脊柱管狭窄症など)、肩の疾患(腱板断裂など)、手術はしない股関節・膝関節の疾患などなど整形外科一般の方の外来リハビリも行いました

・研究

年に一度は学会発表をし、日本股関節学会、日本人工関節学会、JOSKAS(膝・関節鏡・スポーツ)、全国理学療法士学会、東海北陸理学療法学会で発表・学会誌投稿を行いました。OARSIというカナダ・トロントで行われた変形性関節症の国際学会でも発表しました

二つの大学との共同研究の中心人物として研究のデータ取りなどのマネジメントを行いました

日本股関節学会の座長も経験させてもらいました

・講演

県の理学療法士協会が主宰した講演会の講師を経験させてもらいました。変形性膝関節症のリハビリについて語りました。外部の理学療法士の皆さんに講演をしなくてはいけなかったので、それはそれはめちゃ勉強した…!

・院内の勉強会

毎朝何かしらあり、カンファ、勉強会、英語論文抄読会、レントゲン勉強会(レントゲンやMRIを読み解き発表する)、触診勉強会などなど担当を回して行っています

・患者さんの会の責任者

手術後の患者さんが任意で所属する会があり、年に1回バスツアー 、講演会の企画・運営を行いました。この会は現時点で1200名以上所属しています

・業務拡大・改善

開業3年目に入職したため、それはもうベンチャー企業のようで、臨床や研究以外にもやることたくさんあります。最初は患者さんも多すぎてとにかく慌ただしかった

・実習生・後輩指導

一番少ない時は理学療法士6人だったのに今や16人に。教えることで、学ぶことたくさんあるよね…。

・Facebook、Instagram、病院ホームページブログの運用

SNSの使い方慣れました

・そして主任になった

いつの間にやらこんなことに笑。チーム運営など、組織のあり方やいいチームリーダーってなんだろうと模索することが多く、ようやく組織のことを意識するようになりました。やはり昔のように臨床だけをがむしゃらにやってた頃とは違うし、いつまでもそうではあれないんだと感じました

最終的に頭の中は患者さんの治療よりも組織運営のことの方が大きくなっていました。上に立つようになるって、そういうことなのかもしれないですが、純粋に治療を楽しむ(楽しむっていうと変に聞こえるかもしれないですが、自分で試行錯誤して患者さんを治して喜んでもらうことって楽しいんです)ことが減ってきて、寂しいような気もしました

・転職を考える

色々と理由はあるのですが、病院の中での経験を病院の外でも生かしたいという思いがあります。自分は人とコミュニケーションをとることが好きだし、広い世界を知ったりトレンドにも乗りたいですが、どうしても病院という場所は閉鎖的で古典的なものです

そして働きながら、患者さん(というか医療者じゃない人)は体の知識が乏しいことを感じます。私も医療従事者じゃなかったら、病気・怪我のこと全然知らなかったし、体に興味を持つこともそんなになかったかもしれません。「もっと早く受診してくれたらもっと早く治ったのに」「あ、こういう知識って常識じゃないんだ。みんなも知ってたらうまくこの体と付き合っていけるのに」と思うことも多く、どうにか皆さんに基礎的な医学の知識を広めたいという思いが募りました


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