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ギブアンドギブアンドギブ

note初めて一年くらい経ったそうです。
が、一年のうちのほとんどを閲覧専門家に徹していました。
ヒェ〜〜〜

100万年ぶりに戻ってきた記念に最近聞いたお話でシェアしたいと思ったものがあったのでちょっくら真面目な話をしようと思います。
需要があるかはさておいて真面目な話が好きなのでしまーす。

今日は『ギブアンドギブアンドギブ』で生きてみよう、ということについて。
ギブアンドテイクっていうのはよく聞くけど、ギブアンドギブアンドギブってなんぞや??
なんぞやも何も言葉どーーーりの意味です!!!

三種の人々

まずお話を進める前の大前提としてこの世の人間は大まかに以下に分けられます。

・与える者(ギブする者)

・与えられる者(ギブされる者)

・バランスを取りたい者(ギブアンドテイクする者)

そしてそれぞれを上から順に

・Giver(ギバー)

・Taker(テイカー)

・Mattier(マッチャー)

と呼ぶそうです。
ここテストに出まーす。

みなさん自分はどれだと思いますか?
もしくはどれが世の中には多いと思いますか?

答えはずばり『マッチャー』です。
何かプレゼントをされたらお返しをする風習があるように、
または親切をしたら見返りや感謝を求めてしまうように、
世の中の人は大抵マッチャーでありその心根には均衡を保ちたい・相手との関係をイーブンにしたいという気持ちがあります。
これ何となーくわかるよね。

それは悪いことではないのですが、より幸せに生きるために『ギバー』になってはいかがでしょう、というお話をしたい。とてもしたいのです。

世の中で成功者と言われている人(何を持って成功といえるのかという話は今日は一旦置いておきましょー)、
または人生に満足して暮らしている人は

圧倒的に『与える人』が多いです。

結局人が幸福を感じる瞬間って他者へ貢献出来た瞬間だからです。

ここで注意していただきたいのが同じ与える人でもただのギバーではなく『計画的ギバー』になりましょうやということです。

二者は似ているようで全くの別物なのです。

搾取するものされるもの

通常ギバーは与え続けるがあまり最終的にテイカーに搾取されてしまいます。
いわゆる『断れない、いい人すぎるタイプ』。
それがその人の幸せなら全く問題ないんですが、先ほどのマッチャーの説明でもあった通り人間というものはバランスを取りたがる生き物なので

どうして自分ばかりこんな大変な目に合うのだろう

とか

私はこんなに親切にしているのに相手は私に何もしてくれない

だとか

気持ちと現実とのギャップに戸惑い、どす黒い気持ちにいつか押しつぶされてしまうのです。
これは決して幸福な状況とは言い難いですよね。

お次はテイカー。

これはいわゆるカリスマオラオラ系。
リーダーシップがあり自分の芯を持っていてビジネスとかではめっちゃ成功しそうだしおそらく初めはするんだろうけど、その他大勢のマッチャーがそれを許さないそうです。均衡保ちたいんで。
確かに周りの人は鬱憤がたまっていきそうだよね。
テイカーの成功・幸せは長く続かない可能性がある。

三種の人々+α

ギバーは疲れちゃうし、テイカーの末路は迫害されがち、マッチャーは悪くはないけど言うならば当たり前(普通)

じゃあ何がいいのか。

それが冒頭でもちらっと述べた第四の人物『計画的ギバー』なのです。

計画的ギバーとは
ただ与えるだけではなくそれをすることで自分にとってどんないい影響があるだろうか
ということに着目してギブをする者。
きちんと自分の利益や報酬にも目を向け計画的にギブすることのできる人です。
しかも自分に利益があるんだから継続的に与え続けることも可能。

これって結局見返りを求めてるのだからマッチャーと変わらないじゃん。
しかも自分に利益がないことがもし続いたら結局現実とのギャップに悩まされそうじゃん。
と思いがちですが全然そうじゃないのが面白いところなんです。

ご利用は計画的に

まず大切なのは計画を見誤らないこと。
つまり断るときはしっかりと断ることが大切です。
ギブは細く長く続けることが一番いいそうなのでたまにでいいんです。
たまーにさくっといいことしましょう
そしてさくっとしたらさくっと次へいくのです。

サクサク進むことでギブに対する相手のリアクションをいちいち気にしなくなります。

計画を見誤らないことで通常ギバーとの差別化を、ひとつのギブに執着しないことでマッチャーとの差別化をする。
この2点が計画的ギバーの秘訣です。

さらに計画的にギブすることは究極のところまでいくと損得感情がなくなりただの自己満足という結果に終わっても幸福感は成り立つのかもしれない、と私は思うのです。

私なりの考察

ここからは私の考えですが

つまり
お返しをされなくても、
お礼さえ言われなくても、
なんなら相手は自分のギブに気付いていないかもしれなくても、

私がそれをしたかったからした。
自分にとっていい経験になったからむしろ得した。

こう思うことでなんだかとてつもない充足感が生まれると思いませんか?

別に誰が自分のギブに気付いてなくてもいい。
私は私のためにギブをした。
それで相手のためになったなら二倍ラッキー。

それだけで十分だなぁって思うのです。

そうすると何で私ばかり!!!などという他人への無駄な嫉妬や執着がなくなります。
自己と向き合う時間が増えマッチャー・テイカー・通常ギバーでいる時よりも幸せを味わうことができます。
おそらく自己肯定感爆上がり案件。

ちなみにこの与える人についての話とほぼ同じようなことを古代ローマ帝国の五賢帝マルクスアウレリウスが言ってたっていうんだから先人たちはすごいよな。さすが哲人皇帝。
しかも人間の根本ってその頃から何も変わってないのかーと驚きました。

人間っておもしろ〜。

本当他人に期待しないことって最初は難しいけどできたらめっちゃ心が楽よな。
これについては他にも言いたいことがいっぱいあるのでいつかまた話したいな。

私はこの話を聞いてから誰かに親切にしてもらった時、何かお返ししなくちゃなぁと思うことがいい意味で少なくなりました。
その代わり胸を張って心からありがとうと言えるようになり前より清々しい気持ちになることが増えました。

あ、あとこの話を聞いた後に藤井風の『帰ろう』を聴くとなんか妙に納得するので超おすすめ。

猫様からの一言

ということで、
久々にnoteに帰ってきたと思ったら徐に哲学っぽい話しはじめちゃったけどまぁこれも私のただの自己満足。
その自己満足に付き合ってやるかーというギブな気持ちで暖かく見守ってくださるともれなく私が喜びます。\( ˆoˆ )/

最後はうちの猫様のありがたいお言葉で締め括りたいと思います。

誰がなんと言おうとあたちは テイカー!!! あたちにすべてを与えなさい!!

確かに。テイカーでも胸張って生きてるならなんの問題もないよね。

おっしまい。

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