【上見てキリなし、下見てキリなし】
日々の中で、誰が得した話、誰もがうらやむような生活をしている話や、幸運をつかんだ話を見聞きする。子供なら「いいなー、うらやましいなー」と、何も考えずに口から出る。そうすると父は、やや厳しい顔つきなり、私を見降ろして言うのだ、
「いいか、上見てキリなし、下見てキリなしだぞ」
父に似て、理屈っぽい私は、「でもさー、ホントに、私が一番不幸だって可能性もなくない?」と。もちろん、心の声だ。そんなこと、口が裂けても父には言えない。そんなことを言おうものなら、1000倍の理屈で論破されただろう。子供相手に本気で。
想像してみる。たとえ、何年もかかろうが、地球上の全員に話を聞き、調査したら、私の”反論”が立証されるかもしれない。「ほら、キリはあったじゃん!」しかし、現実は、そんな調査に時間やお金をかけられないし、その調査の間に、ドンドン人間が生まれ、死に、状況が変わって、順位は変わるかもしれない。そうなると、「キリ(限り)」について、今、この瞬間を思い悩むこと、無意味だ。そういう意味で、父はまっとうに正しい。
そこまで地球規模で、自分を卑下はしなくても、もう少し狭い世界、例えは、友達の中で、会社の部署の中で、もうちょっと広げると、日本のアフィフ女性の中で、比較して、一喜一憂ことはある。そういった枠の中で、自分がどの位置かなんて事実を確認する術はない。
追記:3104noteさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。
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