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十年、十五年、いや百年の孤独


『百年の孤独』とは 

ノーベル文学賞受賞作家ガルシア=マルケスの
代表作。1967年にアルゼンチンの出版社から刊行されるや瞬く間に世界的ベストセラーとなり、46言語に翻訳された。
日本では72年初訳。
「マジックリアリズム」と呼ばれるその手法は世界文学の歴史を塗り替えたと激賞され、安部公房は著者を「一世紀に一人、二人というレベルの作家」と評している。
現在、Netflixが映像化を準備中。
この世界が滅びる前に
聴け、愛の絶叫を。
見よ、孤独の奈落を。

2024.12.15 某書店にて購入 最新の帯より

あらすじより

蜃気楼の村マコンドを開墾しながら、愛なき世界を生きる孤独な一族、その百年の物語。
錬金術に魅了される家長。
いとこでもある妻とその子供たち。
そしてどこからか到来する文明の印………。
目も眩むような不思議な出来事が延々と続くが、予言者が羊皮紙に書き残した謎が解読された時、一族の波乱に満ちた歴史は劇的な最後を迎えるのだった。
世界的ベストセラーとなった20世紀文学屈指の傑作。


アルゼンチン「百年の孤独」イメージ画像

ある人の言葉をお借りする事が許されるならば、
このお話は壮大な箱庭物語である。

十五年前、私は大学生だった。
あえて何年生だったかは書かないでおこう。
当時、私はある出来事にとても思い悩んでおり、
本当に誰にも言えず、一人きりで不安で不安で堪らなかった。

今思えば。
誰かたった一人でいい。
顔も名前も知らない人でもいい。
日記でもいいかもしれない。
感情を思い切って爆発させ、自分自身のつらくて悲しい気持ちを吐き出していれば。

今とは違う未来があったのかもしれない。

当時mixiというSNSがあった。
今でいういわゆる流行の最先端。

私には子供はいないけれど、子供の頃や学生時代に今のように当たり前のようにスマホがあり、SNSがある環境をある意味では怖く、
しかしある意味では自己表現ができる場がある事を羨ましく感じる気持ちがある。

「モネ展」より たったひとつの睡蓮が私に孤独をイメージさせる

さぁ、話を戻そう。
十年前、私は何とか社会人となり、何とか働いてはいたが、やはり、それはそれで息苦しさを感じていた。
私は大人というのはもっと大人であり、自由であるのだ、と思っていたが、いざなってみるとまるで違う。
自分自身の子供っぽさにくたびれる日々。

何か違う。
何だか違う。
でもそれが何だか分からない。
気づいた時には既に軌道修正の仕方すらが危うく、周りに合わせて作り笑顔ばかりが上手くなっていく自分自身にゾッとした。

もう一生このままなのかな。
私は特に生き甲斐もなく、やりがいを感じる仕事に就く事も出来ず、ただ惰性で日々を生きて、
今日一日をなんとか終えて眠りにつく。

それもまた幸せと言えば幸せである。

人生百年。
ここ数年そう言われるようになって来た。
ニュースや新聞等でもよく目にする。

それは果たして本当に「幸せ」なのだろうか?

仮に百年生きるとして、私はまだ、
折り返し地点にも立っていないという計算に
なってしまう。

長い。
長すぎる。

寂しい。
孤独だ。
それこそ孤独というものではないだろうか?
まさか不老不死という訳ではあるまい。

生まれ変われるのか?
いや、そんなのは嫌だ。
私の人生は私で終わり。
終止符を打ってやるわ。

イルミネーション@表参道
キラキラしていて綺麗だけれど、儚いイメージもある

                   yurika

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