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ようこそ笑店街へ【32】紅葉狩り

紅葉狩り

「もうすっかり秋だな。せっかくだし、次の休みにみんなでどこか行こうか。どこ行きたい?」
 いつもの平日の夜。リビングで夕食のテーブルを囲んでいた時、父親が二人の子供たちに言った。
「やったぁ、じゃあ僕、紅葉狩りに行ってみたい」
 一番に声を上げたのは、小学三年生の長男だった。
「え、紅葉狩り? そんな言葉よく知ってたね。ブドウ狩りとかじゃなくて?」
 母親が驚いたような口調で言った。
「だって、男なら狩るもんだって先生が言ってたもん」
 と言うと長男は口を尖らせた。
「何それ、変なの」
 中学一年生の長女は、興味なさそうに箸を動かし続けた。
「えぇ、ダメなの?」
 明らかに落胆した様子の長男を見て、父親は大きく頷くと、茶碗を置いた。
「お前に紅葉狩りの覚悟があるのに少し驚いたけどな。お父さん、嬉しいよ。まだまだ子供だと思っていたお前がそんな意思を持っているなんて。よし、行こう」
「覚悟って何? お父さんは大げさね」
 母親は、またお父さんのいつものが始まった、とでも言わんばかりに薄く笑った。
「大げさ? まさかお前、紅葉狩り初心者じゃないよな? 経験あるよな?」
「あら私? 私は子供の頃、家族で毎年遠足みたいな感じで行っていたけど」
 そう答えた妻の言葉に、夫は愕然とした様子で言った。
「じゃあ、もしかして、紅葉狩りの恐ろしさを知らないのか」
「え? あ、山だからイノシシが出るかもしれないわよね」
「イノシシ? そんな、昔はウリ坊だったやつなんて恐くも何ともないだろ。いいか。俺たちは紅葉を狩りに行くんだぞ。呑気な魚釣りとはわけが違うんだ。そう、一度山に入ったら最後、俺たちは狩猟民族になると言っても過言ではない。いや、家族で狩るんだからな、狩猟家族だ」
「あなた? 何言っているの?」
「お父さん大丈夫?」
「パパ、ぼく意味がわからない」
 家族の驚きに関係なく、父親は語り続けた。
「いいか、狩るか狩られるか、秋の山は戦場に等しいんだ。攻撃にいかに屈せずしてやつらを手中に収めるかが焦点となる。お前たち、紅葉を甘く見るんじゃない。やつらはまず、我々の最大の五感である視覚から襲ってくる。冬も春も夏も何食わぬ顔で静かに葉を茂らせていたかと思えば、秋という名の行楽シーズンになるやいなや態度を豹変させ、その身を色づかせる。妖艶にも思えるその美しさは国境も越え、多くの人類を虜に……すなわち虜囚にしてしまう。一年にも及ぶ準備期間の間、我々を油断させておき、ここぞという時に一気に攻めてくるんだ。恐ろしいほどの狡猾さじゃないか」
「……」
「みんな、聞いてるのか。ちょっと、テレビを消しなさい。食事中だぞ。まあ、ここまでは誰だって知ってることだしな。でも、ほとんどの人間が知らないこともある。紅葉の攻撃は、視覚だけじゃないんだ。実は、視覚への攻撃の前に、我々は大自然という名の罠にはまってしまうんだ」
「……」
「山に入った瞬間からもう、俺たちは囲まれている。何にって? 自然にさ。紅葉ばかりじゃない。一歩足を踏み入れ、木々に囲まれた刹那、訪れる清々しい感覚に思わず深呼吸をしてしまう。森林浴とはよく言ったものだよ。身体の奥からリラックスしてしまうのだから。そして思い切り無防備になった俺たちの前に現れるのが最後のボス、紅葉だ。もう圧倒的な美の前に、降伏するしかない。そうなればもう、俺たちは終わりだ。最後には心を鷲掴みにされて……」
(もぐもぐもぐ)
「人が真剣に話しているのに、関係なく食事を続けるんじゃない。大事なことなんだ。まずは食べずにお父さんの話をしっかり聞きなさい」
「お父さん……」
「どうしたお母さん、何か心配事でもあるのか?」
「長かったあなたの単身赴任が終わって、やっとここに定住が決まったから、先月から家族で一緒に暮らせるようになってすごく嬉しかったけど……この辺の商店街、ちょっと変わっているじゃない? 笑店街っていうのよね? あなた、ここに三年もいたからかしら、ちょっと雰囲気が変わったわよね」
 それは妻からの思ってもみない言葉だった。
「えっ、そうか?」
 しまった、何かおかしなことをしゃべってしまっただろうか。家族に変な父親だと思われてしまっているのか……
「お父さん……」
 息子も娘もじっと父親を見つめていた。
「あなた……」
 よし、すべてを受け入れよう、そう覚悟した時だった。
「面白かっこいい!」
 家族の声が揃い、瞳はキラキラ輝いていた。

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