見出し画像

ようこそ笑店街へ【30】街の相談役

街の相談役

 笑店街の中心地は、ちょっとした広場のような空間になっていた。真ん中には時計塔があり、文字盤が四方向すべてについているため、どこから見ても時を知ることができた。もちろん皆、時計や携帯電話を持っているので、わざわざ時計塔で時刻を確かめる必要はないのだけれど、わざわざ見てしまいたくなるのはなぜだろう。
 そんなことを思いながら、正午過ぎ、日課となった散歩のついでに、また来てしまった。時計塔の周りには木のベンチがいくつか置かれているので、ご近所さんたちの憩いの場所にもなっていた。
 私も置いてある一つに腰かけると、ぼんやりと文字盤を見上げた。
「あら、ハルちゃんじゃないの」
 ちょっと高めのほがらかな女性の声が風に乗って流れて来た。
「こんにちは。お買い物ですか」
「そうなのよ。今日は特売日だから」
 そう言って、大家の桜木さんは人力車からビニール袋を提げて見せた。
「天気もいいですし、気持ちいいですね」
 私は桜木さんと、愛車の「調子」を引いている辰巳を見て言った。
「ほんとね。私もちょっと休んでいこうかしら」
 桜木さんは、辰巳に手を引いてもらいながら車を降りた。
「お買い物、生ものとかじゃないんですか」
 ちょっと心配になって思わず訊くと、桜木さんは、ホホホと笑って
「大丈夫よ。ナマモノは私だけ、なんちゃって」
 と答えた。まったくこの町の人たちは、みんな笑いに持っていこうとするのだから。
「ほんと、いい町ですよね。悩んだりとか、落ち込んだりとか、そういうのも笑いで吹き飛ばせそうで」
「あら、ハルちゃん、何か悩みでもあるの?」
 思わず呟いてしまった一言を捕まえられた。じっと見つめてくる。
 うっかり口を滑らせてしまったけれど、この町は、この笑店街は本当によく滑る。
「あ、いえ、そんな……」
 慌てて手をパタパタ振った。
「何か悩みがあるなら、必ず解決してくれる相談相手がいるわよ」
 桜木さんは自信たっぷりに言った。
「それって桜木さんのことですか?」
「いいえ。でも、ここにあるわよ」
 指さす先には、丸い文字盤があった。
「時計……しか見えませんが」
「そう、時間よ。どんな問題も時間が解決してくれるから」
 なんていい考え方だろう。言われてみれば当たり前のことだけれど、この笑店街で聞いたなら、本当にそうなのだという気がする。
「ほら見て。今も相談に来ている人がいるわよ」
「えっ」
 桜木さん、今のお話だけで充分いい結末でしたよ、ここからさらに何が……まさか時計塔に相談に来ているなんて、言葉そのものの実写化ではありませんよね? と思い、彼女の視線の先を追った。
 そこには、時計塔の前で塔の壁面に両手をついて、文字盤を見上げている男の子の姿があった。小学校一、二年生位だろうか。まゆ毛が下がり、悲しそうな表情で何かを訴えているように見える。
「あんな小さな子が相談、ですか?」
「そうよ、みんな多かれ少なかれ何か抱えているものでしょう? 年齢は関係ないわ」
 桜木さんの声の向こうでは、男の子の鳥のような高い声が響いていた。
「パパとママを仲直りさせてください。昨日からケンカしているんです。今日の朝は、リコンって言っていました。お願いします。ケンカをやめさせてください」
 聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。この笑店街だって普通に人が生活している場所なのだから、そんな日常があっても仕方ないのかもしれない。でも、と思う。この場所では何でも笑いでどうにかしてくれるんじゃないか、どうにかなるんじゃないかと心のどこかで信じていたのに。
 その時、男の子のいる時計塔の反対側から二つの人影が現れた。
「ゆうくん、ごめんね」
「お母さんっ」
「まさかここに来ているなんて思わなかったな」
「お父さん……ごめんなさい、勝手にここに来て」
 男の子の両親が都合よく現れたようだった。さすが笑店街、そうでなくっちゃ。
「心配かけてごめんね、離婚なんてしないから安心して」
「そうだぞ、お父さんとお母さんは仲良しだから、朝お母さんが言っていたのは冗談なんだ」
「あらお父さん、誰も冗談なんて言っていないわよ」
「え?」
「半分は本気よ、いつもね。だから今回は、本気で冗談ってことで許してあげる」
「なんだよそれ。こわいな」
「大丈夫よ。すべて時間が解決してくれるでしょ。さ、帰りましょ。ね、ゆうくん」
 男の子は嬉しそうに母親から伸びた手を取って歩き出した。父親は心なしか肩を落としつつも、気まずそうに笑って一緒に歩いていった。
 時間が解決したんだろうか、本当に。でも最後に笑っていればいい結末のような気がする。
 その時、後ろから声が降ってきた。
「めでたしめでたしって感じですね」
「あ、辰巳さん、そうえばどこに行ってたんですか」
 ひととき存在を忘れていた辰巳が、手に飲み物を持って来ていた。
「喉乾きません? お姉さまたち」
 透明なプラスチックのカップにストローが挿してあった。炭酸水だろうか。たくさんの小さな炭酸の水泡が、カップ側面や氷の表面を覆い、動かすたびに弾けて、透明な中を上昇していく。一緒に入っている輪切りのレモンの黄が眩しい。
 ストローで吸い上げると、口の中に気持ちのいい風を感じた。頭の芯まですっとする。
「おいしい」
 桜木さんと声が揃う。そして笑った。
「辰巳さんのおごり? ありがとう」
 素直に言ってみた。
「いい雰囲気だったので、そうだ、ソーダを飲もう! と思ったんです」
 一瞬の沈黙。そして、
「そうだ、ソーダを飲もうと!」
 もう一度言われてしまったので、思わずむせた。
「わかった。わかったから。でも辰巳さん、それ、ただの……」
 私が余計な説明しようとすると、桜木さんが結論を言ってくださった。
「なあに? 辰巳くん、もう親父ギャグ? そういうのは、時間が解決してくれないわよ。むしろもっと増えてくるから気をつけてね。うちの人もね、若い頃は辰巳くんみたいに可愛かったのに、気づいたら親父ギャグを連発してね、退職前は会社でかなりの失笑を買っていたわ。だからうちには今でも当時の失笑が押し入れにいっぱいで、もう、ほんと困っちゃうわ」

読んだ人が笑顔になれるような文章を書きたいと思います。福来る、笑う門になることを目指して。よかったら、SNSなどで拡散していただけると嬉しいです。