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仕事・博士課程・育児、3足のワラジの履き方①博士課程受験編

「仕事と博士課程と育児、どうやって両立しているの?」というご質問をいただくことが増えてきました。仕事はフリーランスのコンサルタントをしながら、2020年秋に子どもを出産、2021年春から早稲田大学商学研究科の博士課程に所属し研究を行っています。このマガジンでは、そんな私の3足のワラジの履き方について、ゆるゆると綴ってみたいと思います。まずは第一弾、博士課程受験編です。

なぜ博士課程を目指したのか

フランス在住時代「せっかくパリ住んでるなら何か書いてみてよ」というご縁(という名の無茶振り)をいただき、ブックチャプター(本の中の一章)を書く経験を2度程経験しました。パリ在住時代のあれこれについては「パリ節約自炊生活」に綴っています。

私自身が2017年に早稲田大学ビジネススクールを修了していることや、旦那様がアカデミックな世界で仕事をしていることもあり、何となく博士課程への興味は持っていました。自分の将来を考えた時に、ずっと今の働き方ができるわけでもなく、何かしら新しいことに挑戦してみたい、自分の専門性を身につけたいという気持ちもありました。

そんな背景もあり、2019年に日本に帰国した時には、正社員ではなくフリーランスとしての働き方を選択しました。どんな機会が巡ってきても、どんな変化が訪れても、諦めることなく向き合って考えることができる、私にとってフリーランスはそんな生き方です。フリーランスとして感じたこと、経験したことは「トーキョー奮闘自営生活」に綴っています。

フリーランスとして最初に取り組んだクライアントの仕事が非常に面白く、勉強にもなり、熱中して仕事に打ち込んでいた2020年初頭、お腹に子どもがいることが分かりました。仕事は充実している反面、妊娠発覚と同時に、また改めて生き方について考え始めました。

  • フリーランスとしての仕事は楽しいし充実しているけれど、体力的にも能力的にもいつまでもこの働き方ができるわけではない。

  • 今後のキャリアを考えた時に、もう一つ突き抜けた専門性を身につけたい

  • 生まれてくる子どもにはできる限り向き合って、子育てを楽しみたい

そんなことをモヤモヤ考えるうちに、ふと博士課程という選択肢が頭に浮かんできました。今改めて考えると、既に2足のワラジが決定しているところにもう1足履きに行っていて意味不明ですが、その時にはとても良い選択肢のように思えたのです。

悩む日々〜受験まで

結婚+パリ行き+退職という人生の一台転機ですら即決だったのに、受験を決めるまでには少し悩みました。3足のワラジを履きこなせるのか、全てが中途半端にならないか、この年齢で正社員に戻っておかないともう戻れないのではないか…などの不安が錯綜し、信頼できる方々に相談する日々が続きました。
結局、何かを始めるなら1日でも早いほうが良い、という結論に至り、旦那様も「好きにしなさい」と背中を押してくれたので、挑戦してみることに決めました。この段階(2020年春)段階でお腹の子どもは元気にすくすく育ってくれています。

博士課程は、指導教官の先生を事前に決めた上で受験しなければなりません。以前から面識のあった現指導教官の先生に、ドキドキしながら博士課程に挑戦したい旨や子どもが生まれてくる旨まで全てご相談しました。幸い社会人学生や子育てにとても理解のある先生で、挑戦すること自体は応援していただけました。と同時に、合格率は決して高くないから相当準備して受験に臨むように、との愛のご忠告もいただきました。もちろん受験は応募書類、試験、面接を経て決まるものなのでこの段階では何も確定はしていませんが、指導教官の先生との面談を機に、受験に向けて前向きに進めていくことになります。

子ども爆誕

フリーランスと言いながらフルタイム+αの仕事を出産ギリギリまで続けていました。私が一人でやっていた国内販促業務全てを引き継ぐ必要もあり、契約終了日までほぼ終日オンラインミーティング生活が続きました。そして遂に最終勤務日、仕事を終えて「これでもういつ出てきても大丈夫だ!」と呟いた私の言葉を、お腹の子どもはしっかりと聞いていたようです。最終勤務日のたった2日後に突如破水、ゆっくり準備をする間もなく、子どもが爆誕しました。ちなみに、妊娠〜出産〜子育てに関することは「トーキョー爆誕子育て生活」に綴っています。

当たり前ですが子どもが生まれてから数ヶ月は殆ど寝る間も無く、記憶力や判断力、言語化能力も著しく低下、子どもの危険に対する野生の勘だけが鋭くなる状態が続きました。
しかし実は、子どもが生まれてから応募書類&研究計画書の提出が2.5ヶ月しか猶予が無かったのです。元々は、仕事終了〜出産まで1ヶ月程度を想定していたため、その間に準備すればいいや♪とタカを括っていたのですが、予想外にバッファー2日で爆誕されたため、出産してから慌てて書類の準備をすることになってしまいました。
締切ザウルスに追われる旦那様と夫婦二人でこの難局を乗り切れる訳もなく、子どもの1ヶ月健診が終了した後すぐに実家に移動、実家の母にでお世話になることにしました。家事は母に頼り、私は昼夜を問わず子どものお世話+寝ている隙に研究計画書を準備する日々が始まりました。

足バウンサーと研究計画書

研究計画書とは、自分が博士課程でやりたいと考えている研究テーマについて①研究の背景(Motivation)、②先行研究批判(Literature Review)、③リサーチ・クエスチョンと仮説(Research Questions and Hypothesis)、④研究の方法と対象(Research Method and Data)、⑤予想される結果と意義(Discussion)、⑥主要な参考文献(References)等をまとめたものです(学術分野や研究アプローチによって異なります)。
これを研究したい!というテーマは漠然とあるものの、事前にたくさんの先行研究を読み漁り、先行研究ではあまり触れられていない分野を探し出し(リサーチギャップ)、だからこそ自分が研究する意義がある、ということを論理立ててまとめる必要があります。
実家に移動してから提出まで残り1.5ヶ月。子どもが寝ている1~2時間だけがPCに向き合える時間、というギリギリの条件の中で、焦る気持ちを拗らせながら1つ1つ先行研究を積み上げて行きました。(現時点でも全くですが)この段階ではアカデミックライティングに慣れていないため、そもそも研究計画書の書き方もわからず、寝不足&人と話してなさすぎて論理的思考力も言語化能力も極端に衰え、全く前に進みません。気持ちばかり焦るけど、焦ってもインプットが足りなすぎて何も出てこない。参考文献を積み上げ、PCを開きっぱなしにし、足でバウンサーをゆさゆさしながら、少しずつ研究計画書を書いて行きました。

たっぷり授乳 → 口頭試問

実家の母の献身と、東京と実家を行き来する旦那様のサポートに助けられながら、研究計画書は何とか書き上げギリギリで提出。無事書類選考は通過し、口頭試問&面接に臨むことになりました。
私が受験した年は新型コロナ・パンデミックの影響から特例として試験ではなくオンラインの口頭試問に変更になっていました。口頭試問というのは、本来試験で問われる、設問に対して論理的に解答する小論文を面接で行うというもの。試験だと時間内にじっくり考えて解答できますが、口頭試問では面接官からの質問に対する回答を頭で組み立てて即答する必要があり、それなりに難易度が高くなります。
研究計画書を書き上げて一息つく間も無く、今度は口頭試問に向けた勉強を開始しました。参考図書が指定されていたため、本を読み、重要なキーワードの意味や範囲について頭に叩き込む日々。これまた睡眠不足で頭が朦朧とする中、覚えては消え、覚えては消える用語を夢遊病者のように追いかける日々でした。

そしていよいよ口頭試問本番。既に東京の自宅に帰ってきていたため、面接直前にたっぷり授乳して、旦那様に預けて子どもとお散歩に行ってもらい、自宅でオンライン口頭試問に臨みました。
あまりに緊張していて記憶がありませんが、つっかえながらも何とか回答し、口頭試問は終了。あとは結果を待つのみです。

祝!入園&入学、そして仕事復帰。

幸い結果は合格!晴れて2021年4月から早稲田大学商学研究科博士後期課程に所属することになりました。
博士課程のてんやわんやと並行して、ありがたいことにお仕事のご依頼もいただき、2021年2月くらいから少しずつ仕事復帰を始めました。フリーランスなので時間を限定した働き方から始められたこと、リモートでの勤務を認めてもらえたことで、子どもが家にいる状態でも何とか徐々に仕事を再開することができました。クライアントに感謝しつつ、フリーランスというこの働き方を選んでよかったなと実感しました。(と言いつつ夜泣きの合間にPCに向かう日々が再開したのでした)

あんなにふにゅふにゃしていた子どももお座りできるようになり、同じく4月から保育園に入園することに。入園式が4/1、入学式が4/2と、2日連続で式に参加、私の入学式には旦那様と子どもも一緒に来てくれて、大隈重信像の前で記念写真を撮影することができました。

今改めて当時のことを振り返ると、何故乗り切れたのか謎すぎるほど過酷な出産直後の博士課程受験でしたが、両実家の母、相談に乗ってくれた方々、指導教官、そして何より旦那様と子どもの協力があってなんとか乗り切れたなと実感しています。恵まれた環境にいられる事に感謝しつつ、博士課程生活の第一歩を踏み出します。


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