見出し画像

学校の掃除はだれがやる?

田村淳さんのツイート(2021/9/27)

2021年9月27日、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんがこんなツイートをしました。

「学校の掃除を業者に任せて先生の負担を軽減しよう」という意見。これに対して様々なリプライが寄せられたのですが、そのほとんどが批判的なものでした。

私が人知れず研究してきた学校の掃除が話題になっている・・・。実は学校の掃除は古くて新しい問題です。これまでも様々な意見が出されて来ましたが、さほど盛り上がることもなくスルーされてきました。ということで私が研究してきたことを確かめるために、田村淳さんのツイートに対するリプライに勝手に答えていこうと思います。(以下に書かれたものは田村淳さんの意見ではありません。私の個人的な意見です。念のため。)

批判1 掃除から学ぶことがある!

当たり前です。そんなこと言ったら生活すべてが学びです。でもね、学ぶためにそれを毎日やる必要がありますか?公共物を大切にしたり身の回りをきれいにすることがあなたの言う「学び」だとしたら、毎日学校で掃除をしないと学べませんか?その学びは日常生活に生かされていますか?(きっとあなたは毎日家の掃除をしているのでしょうね。)

批判2 業者に任せるって言うけど財源はどこから?

行政が努力すべきことです。施設管理は設置者の責任です。学校の掃除は子どもたちや先生が善意でやっているに過ぎません。100歩譲って設置者が先生に掃除という業務を委託しているのならまだ理解はできますが、子どもたちが日常的に掃除を行う義務はありません。先生が掃除をしなければならない法的根拠もありませんが。こういう話になると「財源は?」って批判する人が必ずいますが、お金が「ない」のではなくて、違うことにお金を使っているから「ない」のです。お金の使い道の話です。

批判3 掃除って先生たちの負担になってます?

一度学校で働いてみてください。掃除は目を離すことができない活動です。実際に掃除中の事故も起こっています。「先生って掃除中もうろうろしてるだけで楽そうだなー。」って思っている人も多いでしょう。先生と言ってもいろいろですから一律に論じることはできませんが、まっとうな先生であれば事故がおきないように教室の内外に注意を払って巡視します。それでも授業と違って不規則な動きが広範囲にわたって起こるわけですから大変です。実際に私もひやっとする場面に出くわしたことがあります。

別の視点でもお話ししますと、

15分間 × 5日間 × 4週間 × 10ヵ月= 約3,000分
(参考:ダスキン「学校教育支援活動」より)

45分授業に換算すると、約66時間にもなります。
この時間をどう考えますか?という話でもあります。

批判4 私は掃除の時間好きでしたよ

それはあなたの感想です。学校はほとんどの人が通ってきた道でもあるので自分の経験だけで語られてしまいがちです。いい思い出・嫌な思い出だけで現在の教育現場を語るのはバイアス以外の何物でもないでしょう。あなたがいた頃の学校と今の学校は別物です。大丈夫、安心してください。社会状況や価値観の変化とともに学校の在り方が変わったとしても、あなたの素敵な思い出は消えたりしませんから。

批判5 他にもっと改革すべき事がある!

その通りです。学校には各行事、給食、部活動など、見直すべきことがたくさんあります。働き方改革の視点からも業務の精選は必須です。特に中学校であれば部活動は教員にとって大きな負担となっています。これらをひとつずつ課題を解決していくイメージをもっている先生方は、「掃除なんて二の次だ!」となるでしょう。しかし、実際には様々な教育活動を並行して見直すことの方が多いのではないでしょうか。「こっちの改革が先だ!」なんてそんな狭いところで争わないで、全部変えていきましょうくらいの気概をもちましょう。

批判6 家庭で教えられない人もいる!

もちろんです。家庭環境にもよるでしょう。しかし、家庭では教えられないことはすべて学校が教えるべきなのでしょうか。学習指導はもちろんのこと、自転車の乗り方、食事のマナー、掃除・・・いわゆる生活指導も学校では行っています。しかし、近年では○○教育がどんどん増えていき、学校は「何でも教える」場になっています。人員と時間と環境が限られた中で「何でも教える」ことは可能でしょうか。「家庭でできないことは学校でやってね」はあまりにも雑な意見だと思います。

学校の掃除は誰がやる?

ここまで「学校の掃除は業者に任せよう」対する批判的な意見に答えてきました。これまで児童生徒や先生がやってきたことをいきなり「業者に任せよう」と言われると、受け入れられない人もいるでしょう。しかしこのくらいインパクトがある意見を出して世の中に問わないと、いつまでたってもぼろぼろの雑巾とほうきで掃除しつづけるんだろうな・・・と思います。掃除用具も満足に買ってもらえず、学習指導要領にも明確な義務づけのない掃除を「学ぶことがある」とか「心を磨く」というぼんやりした言葉でやり続けるのはおかしいのではないかと私は思います。

掃除は必要です。公共物を大切にしたり、身の回りをきれいにすることも大切です。そういう意味では教育的意義はあると思います。しかし、そのことと児童生徒と教職員が毎日掃除することを混同してはいけないと思います。しかるべき予算をきちんとつけて学校の環境を整備していく、本来はそうあるべきではないでしょうか。そして、業者に任せるから全く掃除をしないということにはならないでしょう。身の回りの整理整とんは日常でやればいいし、ゴミが落ちていたら拾えばいいし、環境美化週間などを設けて総合の時間に除草作業をするのもいいでしょう。毎日の掃除の時間がなくても「学ぶ」ことはできます。むしろ私たちはそこを目指さなければいけないと思うのです。

業者に任せることの利点は他にもあると思います。それは学校に先生以外の大人がいることです。学校はどうしても閉鎖的になりがちです。先生以外の大人が働いている姿を見るのも「学び」になるし、学校組織としての風通しもよくなると思います。どんどん一般の人に入ってきてもらう方が子どもたちにとってもいいのではないでしょうか。

たかが掃除、されど掃除。
慣習的に行ってきたことを変えるのはとても難しいです。
しかし「当たり前」を一度リセットすること、考えたことをやってみることが新しい発見を生むのではないでしょうか。その結果を検証し、よりよい方向を考え実行していくことも大切です。そういう営みが学校には圧倒的に足りないのです。

考えることをやめてはいけない。
変わることを恐れてはいけない。

そんなふうに思ったりします。

この記事が参加している募集

#みらいの校則

848件