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山本太郎さんを応援されている皆さんへ


🌺 太郎さんと新党の支持者の中に、批判はおろか疑問を投げかけることさえ許さない雰囲気が漂っていること、とても気がかりです。
 先日、「カリスマへの熱狂ぶりが橋下・維新フィーバーを連想させる」と言った人がありました。そのコメントに対して、「ミソとクソをいっしょにするな!」的反応がワワーッと集まっていて、ビックリ . . . 。
 だって、クソから見たらミソがクソですから。大切なのは、ミソとクソが違うと言い立てることじゃなく、かつての維新フィーバーと同じ「熱狂」に見えるような支持のしかたを客観視してみることだと思うのです。

 7月24日、わたしは「もう安冨歩さんの応援はできない、みなさんに寄付のお願いまでしていたのに、ごめんなさい」という趣旨の投稿をしました。
 その一部が、Twitterで安冨さん自身によってリツイートされてからというもの、「馬鹿なの?」「絶望してろ」「語る資格なし」「安冨先生のこのご本を読んでみてください」といった返信やメッセージが次々に届いています。見ず知らずの人から。最悪の気分です。もちろんリツイートやコメントをするのが悪いわけじゃない、それは自由でしょう。だけど「数の暴力」になってること、いいかげん気がついてほしい。もう嫌悪と恐怖しかありません。
 でも、怖いからと黙ってしまったら「女がすたる」と思うので、もう一度だけ書きます。
 愛をこめて。

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 以下、7月24日の投稿にいただいたコメントへの返信です。

 こういうのも「正常性バイアス」と呼んでいいのかな? 
 安冨歩さんの言動に違和感を感じながら、それでも悪い方へはいかないと考えていました。大好きな木内みどりさんが応援している人だから、いま山本太郎さんの勢いを止めたくないから、友人知人に「れいわ」のサポーターが何人もいるから、わたしは信じたかったんだと思います。選挙が終われば、安冨さんも落ち着いてくれるに違いないと。

 けれど、安冨さんは、選挙後も、ツイッターで自分に批判的なコメントをエゴサーチして、リツイートし続けました。コメントした人への暴言も止みません。それを見て、安冨さんのコアな支持者が一斉に攻撃をしかける仕組み、ほとんど吊し上げです。(涙)
 でも、それが傍目には、批判的なコメントもオープンにして見せる寛大でフェアな人物、もしくは、批判にも面白おかしく切り返す愉快な大学教授、と映るみたい。

 そのやり方を見て、ある友人が言いました。
 ”ツイッターで安冨氏が「意地悪な人がいるよね。やだねー、ねえみんな」とやるの、「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです、皆さん」という安倍と、どこがちがうのかな、と思ってしまいました。人の話を聞かないどころか、相手を小馬鹿にして嘲笑し、みんなで叩く。卑劣きわまりないよね”

 同感です。セクマイ関連だけを見ても、わたしは叫び出したいくらい。偏見を広げているし、もうほんとうに当事者が大勢傷ついているのだから「やめて!」って。

 けれど、いま何よりも避けたいのは、安冨氏を批判している女性、LGBT、動物愛護団体、「ビ・ハイア」パワハラ訴訟の原告、沖縄の人たちが、ただただ被害者意識の強いヒステリックな集団だとミスリードされること。

 ですから、できるだけ涼しく静かに話そうと思います。

 安冨さんを誤解していたんじゃない、誰かに騙されたんでもない、わたしは危険を察知していたのにぐずぐずして、動かなかったんです。
 そのせいで、嫌な目に遭わせてしまった人たち、ほんとうにごめんなさい。미안해요.

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 「沖縄差別」って何のこと? という質問を複数受けたので、ここにも書いておきます。

 2016年10月の安冨さんのコラム「機動隊差別発言を問う~」について。
 まず、辺野古の抗議船の船長、ちえぞうさんの投稿をご覧ください。
https://twitter.com/tchiezinha/status/1150295115581120513

 わたしもこの安冨さんの説、ひどいと思います。そもそも、目取真俊(めどるま しゅん)さんたち、「挑発」なんかしてないし。

 でも、もっと気になったのは、2つめの写真の後日記事。
 「挑発する余裕なんかない」というみなさんの声に対して、「今回の記事の反応で驚いたことは、皆さん『挑発』という言葉が嫌いだということ。非暴力闘争とは――」と、なんの理解も共感も示さずに、持論を展開しているところです。
 沖縄の人たちが、いったい何十年「非暴力闘争」を続けてきたと思っているんでしょう?
 それに、安冨流の”相手を挑発して暴力を使わせろ”という「非暴力闘争?」は、沖縄の「非暴力闘争」とはまったく違います。たとえ論として正しいとしても、立ち止まらないと . . . 。

 この選挙でのLGBT案件も同様だと思いました。
 つい4~5年前に、「女装すると安心感がある」と気がついたにわかLGBTが(新米だから発言するなってことじゃないよ)セクマイの仲間のためにずーっと闘ってきた活動家や研究者、いま現在つらい思いをしている当事者たちの声をまったく聞かずに、強引に持説をぶち続けて正当化していく感じ、2年半前の沖縄のときと変わっていません。

 そんな安冨さんの態度は、沖縄に寄り添うと言いながら、デニーさんが知事に選ばれても、県民投票で「反対」と決まっても、辺野古の埋立を”いったん止める”ことさえしない中央政府の傲慢と同じに見えます。

「どんな顔で何を語るんだろうか? 持論を通すのか? お願いだから心をかき乱さないで下さい」
 7月14日に安冨さんの辺野古訪問を知った人のコメントが、ずっと心に残っています。

 いまはまだネットの中の問題だけど、新選組、このままで大丈夫なのかな?
 心配です。山本太郎さんはどんな考えでいるのでしょう。
 
どうかギスギスしませんように、お祈りします。


 最後に、沖縄の平和運動の父、阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんの陳情規定(1954年10月)を . . . 。

一、米軍と話をする時は なるべく大勢の中で何も手に持たないで座って話をすること
  耳より上に手を上げないこと
一、決して短気をおこしたり相手の悪口は言わないこと
一、うそ、いつわりのことを言わないこと
一、布令布告によらず道理と誠意を持って幼い子供を教え導いていく態度で話すこと
一、沖繩人同志はいかなることがあっても決してケンカはしない
一、私たちは挑発にのらないため今後も常にこの規定を守りましょう


追伸 1:「非暴力闘争」の説明で、キング牧師の言葉を引用しようと「Stride Toward Freedom(自由への大いなる歩み)」を見たら1958年の出版。有名なローザ・パークスのモンゴメリー・バス・ボイコット事件は1955年12月。
 なんと、伊江島の阿波根さんの方が先に始めてた!
 あらためて、阿波根昌鴻さん、すごい . . . リスペクト! 💕

追伸2:ちょっぴり補足、いいわけ。

 文中の「女がすたる」って当てつけがましいですね。
 ふだん、「性別二元制」なんだかなあ、って言ってるくせに、おい!です。
 原稿を書きながら、いやみな言葉はできるだけ抜きました。
 たとえば、サンドバッグ、信者、ポエム、ナイーブ . . .
 「えらいゆうけんしゃ様」認定 \(^o^)/ とか、ちょっと書きたかったけど、やめました。
 そのとき「女がすたる」は、すごく迷って残しました。
 「人としてダメ」のほうがふさわしいのは分かっていて、でも、わたしの矜恃・プライドは「女」だというところから生まれてくる気がして。
 120%シスのパンセクシュアルの気持、置いておきたかったんです。
 プライドの記憶として。意地悪の証拠として. . .   🐝

選挙の前に書きました、↓ こちらの記事もお読みいただけたら幸いです。💕
創価学会のみなさんへ - A letter for you


ありがとうございます。🕊️🌈