20 代の暗雲「会社員に向いてない私」
バブル末期、21歳で短大を卒業し、就職した。営業事務の仕事はまったく合っていなかった。フツウに定時で帰宅したとしてもヘトヘトに疲れていた。
今思えば、内向型HSPの私にはすべての刺激が過剰な環境だった。一つの仕事が終わらないうちに次々と電話や来客がやってくる。それに対処するのに右往左往して、いつも仕事が山積みだった。
騒がしく慌ただしく目標と時間に追われて日々が過ぎる。いつも疲れていて週末は昼間で寝て過ごした。おまけに「自分はサクサク仕事を勧められない、時間管理ができない」と同僚と比べて劣等感を感じていた。
当時は世間は就職氷河期。資格もスキルもなく、転職も無理そう。
先行きは暗雲しか見えない。
一人暮らしだったから、ただ生活のために会社に行った。それに「せっかく就職したのに辞めたら親ががっかりする」と思い込んでいた。
そのころの感覚としては
働く=生活のため
仕事=がまん
その後、20代半ばで結婚。
最初の会社ですっかり自信を失っていた私は「次は疲弊しない仕事を選ぼう」と決め、非正規の仕事を転々とした。
夫の2度の転勤のため、各地でパートや派遣で働いた。
仕事を選ぶ基準は「今の自分にできそうかどうか」
つまり、「すぐできること・疲弊しない仕事」という狭ーい選択肢の中から選んでいたのです。
一般事務とかコールセンターで時給を稼ぐためにシゴトしてました。職場では名前を呼ばれることもなく「アルバイトさん」と呼ばれた時期もあります。正社員と非正規との差を感じながらも、自分の仕事の範囲が決まっていて精神的に楽な職場ばかりを選んでいました。
それでも「シゴト=がまん」の延長だったことに変わりはないですね。
あるとき、夫が千葉から東京に転職。ほぼ転勤のない会社に。
それは私が32歳位のころで、改めて自分の仕事や働き方について考えるときがやってきました。
もう「シゴト=がまん」の黒い歴史を終わらせたい。
「私がやり甲斐をもって続けられる仕事って何だろう?」
「パートさん、アルバイトさんって呼ばれるのはもう嫌だな」
「人に喜ばれることがいいな」
「ずっと続けられる専門職がいいな」
…で、当時通っていた近所の英会話教室で突如ひらめきました。
「そうだ、逆に外国人に日本語を教えるのはどうだろう!」
今思えば、言葉を教えるというより異文化からやってきた人たちとの触れ合いが新鮮で楽しかったのです。その教室の講師たちは日本に旅行気分でやってきた人が多く、自分の人生を大いに楽しんでいるように見えたのです。異国に来て自由にやっている(ように見えた)彼らが眩しかった。
「人生もっと自由でいいんだな」
私の英語力はパッとしなかったけど、「そういえば、英語より国語のほうが得意だったじゃないか。英語より日本語だ!」と思い直し、外国人に日本語を教える日本語教師になったわけです。
21歳で就職するとき、当時は自己分析するということもなく、学生センターにおいてあったファイルのなかから会社を選び、自己流で就職活動。
バブルが弾け氷河期だったこともあるけど、慎重な性格もあって転職とか思い切った行動にでなかった。20代の10年間「会社員には向いてない(涙)」と気づいてもどうしていいかわからず、働くことにネガティブな気持ちを持ったまま彷徨っていた。でも、30歳を過ぎて考え直してみて遅くはなかったと思います。
今年51歳になりました。当時は30過ぎてから何か始めるなんて遅くない? と思ったのですが、30代なんてぜんぜん若いですね。
「今の自分ができること」の中から仕事を選ぶとどうしても視野が狭くなります。「やってみたいこと」に目を向けると案外道があるんだなと感じます。
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