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#短歌人
「短歌人」2024年10月号掲載作品
再会
手放しし本を再び買ひ戻すやうにあなたとまた出会ひたり
同じやうで違ふ人なり年月に流されてもう互みに遠し
目のまへにゐるのに遠い 変はらないねと言ひあつて少し黙つた
その人の記憶の中にだけ棲んでゐる十七歳のわたくしのこと
再会を苦くにれがむ夕まぐれラヂヲから昔のJポップ
似た夢を見てゐたころには戻れない。写真に並ぶ笑顔の二人
あの人もこの虹を見てゐるだらうペトリコールに包まれなが
「短歌人」2024年9月号掲載作品
水の旅
似ることは共犯めいて島と鳥、緑と縁、アリアとマリア
ウ、ハ、ム、心と書いて窓となる何十年もずつと唱へる
雨がまた雨になるまで水の旅 川の近くに住んでゐたいね
やはらかく目隠しされてゐることに気づかないまま月日は流れ
ゆでたまごがきれいに剥けた朝だから少しだけいい紅茶を淹れる
姉を知る家に暮らして老いてゆく生まれながらの妹として
おさがりの衣類が思ひ出を語るクローゼットのくらが
「短歌人」2024年8月号掲載作品
盛岡/三月
もりをかへ星の写真を見にゆくと誘はれて乗る春の自動車
山中はいまだに雪の残りあり仙岩峠茶屋には寄らず
北上川の流れは速し渡る橋の欄干に白鳥の紋様
「もりおか啄木・賢治青春館」もまた旧銀行の建物である
固く急な階段ばかり登り降りしつつ暖炉の意匠など見て
帰るさはすこし無口な私たちずつとスピッツ流れる車内
※同人2欄、冨樫由美子
「短歌人」2024年7月号掲載作品
ひかり
やはらかに麺は縮れてスープ濃きカップヌードルたまには食べたし
時に高き壁にありしを母はいま庭に小さく草むしりをり
ひかりさす窓辺に椅子を引き寄せてヘルマン・ヘッセのことばに触れる
鳥かごを逃げた小鳥はさがさずに空色に塗る胸のうちがは
採光のよき建物と思ひをり木のテーブルに絵本をひらき
帰宅する小学生の歌ふこゑ窓より入り来るは嬉し
本を読みながら眠りに落ちてゐて続きを夢の中に読
「短歌人」2024年6月号掲載作品
影
雨水きて庭に二月のひかりさし暫し忘れるこれの世のこと
中途退職教師のわれにもう来ない新学期とは四月のひかり
五月のひかり溜まれるメイル・ボックスに〈ヘアサロン虹〉移転の通知
街並は姿を変へる六月のひかりは耳のなかにもおよぶ
十月のひかりの道をたれもたれも今日がいちばん若き影曳く
十二月 影がひかりを駆逐して雪のひとひらづつがこゑあぐ
ふりつもる雪の晴れ間の一月のひかりを踏んで郵便
「短歌人」2024年5月号掲載作品
春の日
ミュシャの絵を見れば思ほゆ棺桶に寝てゐたといふサラ・ベルナール
絵の前にたたずむ人も絵になりて常設展のモネの「睡蓮」
歌ひながらショパンを弾けるピアニスト「猫のワルツ」を幸せさうに
制服のスカートすこし寒かりし春の日ジョルジュ・サンドを読みき
公園に夕暮れは来て遊具らはめいめいの影曳きて静まる
樹木へと歩みを進めゆくときの気後れに似たためらひひとつ
暮し分かちあはざる逢ひは美
「短歌人」2024年3月号掲載作品
ポタ
ぽつぽつと零す言の葉カフェラテのカップを覗き込むやうにして
空つぽになつて何かを待つてゐる誰かではなくあなたでもなく
冬の朝のひかりとともにかき混ぜるコーンクリームポタージュスープ
ポタージュのポタの部分が旨いのだ木のスプーンがさう言つてゐる
ぽたぽたと落とす涙はくやしさのなみだ ここから出られぬことを
ここは何処ここは辺境おほごゑに泣いたところで届かぬほどの
ひとまへで号泣を
「短歌人」2024年2月号掲載作品
モモ
切り抜きはエンデの死去を告ぐる記事函入り本の『モモ』に挟まれ
一刷の発行年は一九七六年わが生まれ年
祖母逝きし雪深き冬くり返し読みたる『はてしない物語』
美しい二冊の本が書架にあることを支へに生き延びて来し
引越しや蔵書整理の幾たびを経て残りたるエンデの二冊
暗記するほど読みしゆゑもう読まずされど手放すこともできない
モモは桃。桃は生命のシンボルと知らざるままに名づけしエンデ
「短歌人」2024年1月号掲載作品
ボンボン
てのひらにのるボンボンの缶ひとつまこと小さきものは愛おし
ボンボンをしづめし紅茶ほんのりと香りをたてて三時をまはる
懐かしい未来の匂ひ古びたる雑誌の隅の星占ひは
ときとして記憶の底になるあれは祖父母の家のぼんぼん時計
北に居て北を恋ふこと ゆつくりと舌の上にてボンボン溶ける
ハッカの香嗅ぎつつ憶ふ若き日の旅といふ旅、海といふ海
横浜と神戸の記憶が混ざるのは港の風と洋館のせゐ
「短歌人」2023年12月号掲載作品
うさぎ
秋の陽が差しこむ窓に近く読む絵本の中のうさぎの愁ひ
ラズベリーいろのうさぎのぬひぐるみ抱きて眠る淋しきときは
ミッフィーの表情のなき丸き目が哀しき日には哀しげに見ゆ
子ぐま座が月のうさぎと恋をする童話を書きし高校時代
陶器市に一目ぼれせしお茶碗のもやうは紺の波うさぎなり
色とりどりのうさぎの耳のやうだねと舞ひ散る木の葉見て言ひし人
南天の実と葉と雪の小さき塊きのふ雪うさぎのゐ
「短歌人」2023年11月号掲載作品
お気持ち
だつて夏は冬へ向かつてゆく季節 熱中症はさみしさのせゐ
環境に優しい簡易包装のお気持ちですよここにサインを
耳鼻科医の趣味はピアノといふ噂おもひつつ耳診てもらひをり
婚姻は何も解決しなかつた遠い花火を数へる夕べ
でも今日もモーツァルトを聴いてゐる他のすべてを忘れるために
雨垂れと本と紅茶と詩の話すこしづつずれ恋愛談義
詩を見せることは自分を見せることあなたにだけは見せない所
「短歌人」2023年8月号掲載作品
「風」
風光る 肺腑の奥にきらきらと痛みのやうな言の葉がある
桜蕊ふるゆるやかな坂道をくだりてゆけり古本の店
バス停に歌集を読みてゐる人と隣りあはせて横目をつかふ
岩波文庫の紋様すこしカバーより覗かせにつつ歌集よむ人
歌集よむ人の降りゆくまでを目に追ふ風薫る五月のある日
「小公女セーラ」の主題歌を歌ひ己励ます夜もありたり
錠剤によりて心の平安を保つ日もあり風が見えるよ
※同人2欄