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短歌作品

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主に「短歌人」誌に掲載された短歌作品です。
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記事一覧

「短歌人」2024年8月号掲載作品

「短歌人」2024年8月号掲載作品

盛岡/三月

もりをかへ星の写真を見にゆくと誘はれて乗る春の自動車

山中はいまだに雪の残りあり仙岩峠茶屋には寄らず

北上川の流れは速し渡る橋の欄干に白鳥の紋様

「もりおか啄木・賢治青春館」もまた旧銀行の建物である

固く急な階段ばかり登り降りしつつ暖炉の意匠など見て

帰るさはすこし無口な私たちずつとスピッツ流れる車内

※同人2欄、冨樫由美子

「短歌人」2024年7月号掲載作品

「短歌人」2024年7月号掲載作品

ひかり

やはらかに麺は縮れてスープ濃きカップヌードルたまには食べたし

時に高き壁にありしを母はいま庭に小さく草むしりをり

ひかりさす窓辺に椅子を引き寄せてヘルマン・ヘッセのことばに触れる

鳥かごを逃げた小鳥はさがさずに空色に塗る胸のうちがは

採光のよき建物と思ひをり木のテーブルに絵本をひらき

帰宅する小学生の歌ふこゑ窓より入り来るは嬉し

本を読みながら眠りに落ちてゐて続きを夢の中に読

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井戸を隠して

井戸を隠して

中年のぼんやりとしたししむらがファッションビルの扉にうつる

スタバなどなかりし頃のおもかげが少しは残る駅前をゆく

ふるさとに住めばをりふし若き日の己の影に疎外されをり

振り返るときに明るしそれなりに悩みもあつた高校時代

女子高の文芸部にて知りあひて女性牧師となれる人あり

少女漫画の貸し借りしたる日はとほくいまとほき地に福音を説く

ドーナツを食べて烏龍茶を飲んで何をあんなに話してゐたか

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「短歌人」2024年6月号掲載作品

「短歌人」2024年6月号掲載作品



雨水きて庭に二月のひかりさし暫し忘れるこれの世のこと

中途退職教師のわれにもう来ない新学期とは四月のひかり

五月のひかり溜まれるメイル・ボックスに〈ヘアサロン虹〉移転の通知

街並は姿を変へる六月のひかりは耳のなかにもおよぶ

十月のひかりの道をたれもたれも今日がいちばん若き影曳く

十二月 影がひかりを駆逐して雪のひとひらづつがこゑあぐ

ふりつもる雪の晴れ間の一月のひかりを踏んで郵便

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「短歌人」2024年5月号掲載作品

「短歌人」2024年5月号掲載作品

春の日

ミュシャの絵を見れば思ほゆ棺桶に寝てゐたといふサラ・ベルナール

絵の前にたたずむ人も絵になりて常設展のモネの「睡蓮」

歌ひながらショパンを弾けるピアニスト「猫のワルツ」を幸せさうに

制服のスカートすこし寒かりし春の日ジョルジュ・サンドを読みき

公園に夕暮れは来て遊具らはめいめいの影曳きて静まる

樹木へと歩みを進めゆくときの気後れに似たためらひひとつ

暮し分かちあはざる逢ひは美

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「短歌人」2024年4月号掲載作品

「短歌人」2024年4月号掲載作品

08

「08珈琲」その店名の由来知らずまた「イチハチ」と言ひまちがへる

図書館の裏手の旧き建物の二階にありてしづかなる店

珈琲に詳しくあらずいつ来ても頼む「季節の珈琲」ひとつ

夕闇が窓に迫りてくるころをタルト・タタンにフォークを入れる

ナナハチぢやあなくて一か八かでもなくてなくて08珈琲ここは

一人でも二人で来てもいい店だ図書館通り見下ろせる窓

すこしだけ秘密をわかちあひたくて小声に

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「短歌人」2024年3月号掲載作品

「短歌人」2024年3月号掲載作品

ポタ

ぽつぽつと零す言の葉カフェラテのカップを覗き込むやうにして

空つぽになつて何かを待つてゐる誰かではなくあなたでもなく

冬の朝のひかりとともにかき混ぜるコーンクリームポタージュスープ

ポタージュのポタの部分が旨いのだ木のスプーンがさう言つてゐる

ぽたぽたと落とす涙はくやしさのなみだ ここから出られぬことを

ここは何処ここは辺境おほごゑに泣いたところで届かぬほどの

ひとまへで号泣を

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「短歌人」2024年2月号掲載作品

「短歌人」2024年2月号掲載作品

モモ

切り抜きはエンデの死去を告ぐる記事函入り本の『モモ』に挟まれ

一刷の発行年は一九七六年わが生まれ年

祖母逝きし雪深き冬くり返し読みたる『はてしない物語』

美しい二冊の本が書架にあることを支へに生き延びて来し

引越しや蔵書整理の幾たびを経て残りたるエンデの二冊

暗記するほど読みしゆゑもう読まずされど手放すこともできない

モモは桃。桃は生命のシンボルと知らざるままに名づけしエンデ

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三十首連作「いつか明るい」

三十首連作「いつか明るい」

たくさんの「いいね」がついた投稿にゆびさきあててわたしも媚びる

さくらもちさくらもちつて買ひにゆく食べるためよりアップするため

白鳥が北へ帰つてゆくを撮るスマホかざして首をそらして

ほんたうの気持ちはどこにあるだらう仰いだ空を雲が流れる

感情もきれいになるといいのにと手を洗ふたび思ふこのごろ

雪の下よりあらはれて春あさき散歩の道にあまたのマスク

桃始めて笑ふの候にかくてがみインクのにじ

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「短歌人」2024年1月号掲載作品

「短歌人」2024年1月号掲載作品

ボンボン

てのひらにのるボンボンの缶ひとつまこと小さきものは愛おし

ボンボンをしづめし紅茶ほんのりと香りをたてて三時をまはる

懐かしい未来の匂ひ古びたる雑誌の隅の星占ひは

ときとして記憶の底になるあれは祖父母の家のぼんぼん時計

北に居て北を恋ふこと ゆつくりと舌の上にてボンボン溶ける

ハッカの香嗅ぎつつ憶ふ若き日の旅といふ旅、海といふ海

横浜と神戸の記憶が混ざるのは港の風と洋館のせゐ

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「短歌人」2023年12月号掲載作品

「短歌人」2023年12月号掲載作品

うさぎ

秋の陽が差しこむ窓に近く読む絵本の中のうさぎの愁ひ

ラズベリーいろのうさぎのぬひぐるみ抱きて眠る淋しきときは

ミッフィーの表情のなき丸き目が哀しき日には哀しげに見ゆ

子ぐま座が月のうさぎと恋をする童話を書きし高校時代

陶器市に一目ぼれせしお茶碗のもやうは紺の波うさぎなり

色とりどりのうさぎの耳のやうだねと舞ひ散る木の葉見て言ひし人

南天の実と葉と雪の小さき塊きのふ雪うさぎのゐ

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「短歌人」2023年11月号掲載作品

「短歌人」2023年11月号掲載作品

お気持ち

だつて夏は冬へ向かつてゆく季節 熱中症はさみしさのせゐ

環境に優しい簡易包装のお気持ちですよここにサインを

耳鼻科医の趣味はピアノといふ噂おもひつつ耳診てもらひをり

婚姻は何も解決しなかつた遠い花火を数へる夕べ

でも今日もモーツァルトを聴いてゐる他のすべてを忘れるために

雨垂れと本と紅茶と詩の話すこしづつずれ恋愛談義

詩を見せることは自分を見せることあなたにだけは見せない所

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「短歌人」2023年10月号掲載作品

「短歌人」2023年10月号掲載作品

濃淡

心には濃淡があり濃い方の心で人を憎んだりする

ゆつくりと時間をかけて煮込みゆく君がわたしにくれた嘘たち

紫陽花の青に溺れてゐる人が写真を撮つてくださいと言ふ

珈琲を断ちてをりたるある朝全細胞が珈琲を乞ふ

ブックカフェ〈赤居文庫〉に小半刻寺山修司のメルヘンを読む

てきたうに料理することできなくてレシピなぞるもうまくいかない

テレビでは土井善晴がにこやかにささがきごばう指南してをり

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「短歌人」2023年8月号掲載作品

「短歌人」2023年8月号掲載作品

「風」

風光る 肺腑の奥にきらきらと痛みのやうな言の葉がある

桜蕊ふるゆるやかな坂道をくだりてゆけり古本の店

バス停に歌集を読みてゐる人と隣りあはせて横目をつかふ

岩波文庫の紋様すこしカバーより覗かせにつつ歌集よむ人

歌集よむ人の降りゆくまでを目に追ふ風薫る五月のある日

「小公女セーラ」の主題歌を歌ひ己励ます夜もありたり

錠剤によりて心の平安を保つ日もあり風が見えるよ

※同人2欄 

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