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#エッセイ

横山未来子の歌集を読む~主に『とく来りませ』のテーマと文体について~

横山未来子の歌集を読む~主に『とく来りませ』のテーマと文体について~

歌集『とく来りませ』は2021年(令和3年)4月3日発行。砂子屋書房の「令和三十六歌仙」シリーズの一冊である。横山未来子(1972年~)の第六歌集にあたる。

横山の第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、第二歌集『水をひらく手』(2003年)は相聞歌の多い歌集であった。

初期から完成された文語によってうたわれる「君」への思いが瑞々しい。

第三歌集『花の線画』(2007年)、第四

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寺山修司における【父の不在・母の呪縛】

寺山修司における【父の不在・母の呪縛】

年譜的な事実をいえば、警察官であった父・八郎は昭和二十年、寺山修司が九歳のときに戦病死している。母・ハツは昭和五十八年に寺山修司が四十七歳で死去したときも存命であり、告別式の喪主であった。(しかし「わたしは知らないよ。修ちゃんは死んでなんかいないよ!」と言って、出席していないという)。中学生のときに大叔父に預けられて以降、母とは離れて暮らす期間が長かった。

昭和二十九年、「短歌研究」主催の第

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ふくらむ時間(2003年)

ふくらむ時間(2003年)

 十六歳の時に短歌を作り始めてから十年間、ずっと新仮名遣いを用いていた。昨年八月に出版した第一歌集『草の栞』は、だからすべて新仮名遣いによる歌集である。意識的に選んだわけではなく、当初それが自分にとって自然だったからだ。古典の時間に習う歴史的仮名遣いが、自分を表現するのに都合の良いものとは思えなかった。
 ところがここ数年、しだいに新仮名遣いでの作歌に違和感を覚えるようになってきた。一年ほど前から

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「ただ行為の中にのみ」      ~大口玲子『自由』を読む〜

「ただ行為の中にのみ」      ~大口玲子『自由』を読む〜

はじめに

 大口玲子(一九六九~)は第三歌集『ひたかみ』(二○○五)刊行後カトリック教会に通い始め、二○○八年の復活前夜祭に受洗している。同年六月、長男を出産。第四歌集『トリサンナイタ』(二○一二)には妊娠出産、受洗、被災、避難、宮崎への定住という激動の六年間が綴られている。第五歌集『桜の木にのぼる人』(二○一五)は「東日本大震災後の世界を生きる」が大きなテーマになっている。第六歌集『ザ

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