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趣味の学びとして通っている文章講座の課題として書きました。
よかったらお読みください。

2020年の夏から通っている文章講座のベーシックから数えると、このテーマは3回目のお題になるかもしれない。やっと「書いてもいいかな」と思えるようになった。原体験を探るのに過去体験を振り返る作業を何度か繰り返した。それ以前からわたしのメンタルバランスは母が大きく影響していることは理解していた。それにしても幼少期までさかのぼって出てくる母がこれほどまでに影響しているとは、予想を上回る結果だった。作業の最後に過去体験全体を振り返ったとき、わたしの話を聴いていた相手からこう言われた。「ぜんぶお母さんのせいにしていない??」とても刺さった。わたしは、母に対して、母のせいとかおかげとか、なにかしらそういったものをくっつけようとしなかった。あいまいにしておくことでなにかラクになれたのだろう。あ、そうか。今回は体験談を書くんだった。母のことは思い出せるけど、母とのエピソードとなるとなかなか出てこないものだ。


「ゆみちゃん、ちょっと髪の毛やってーー」母のハスキーボイスが聞こえた。ダイニングでなんとなくテレビを見ていたわたしはその声の聞こえるほうに目をやった。リビングのテーブルには夕食が並んでいる。その奥に畳の部屋が見える。カチャカチャとホットカーラーを外していく音がする。テレビの左肩には17:50が表示されている。「あ、もうそんな時間か」とわたしは思った。スナックを経営している母は、毎日この時間になると自分の身支度を始める。夕食を用意する前にシャワーを浴び、夕食の準備を終えたら、母自身はそれを食べず、洗面台で髪を乾かすところから準備が始まる。小学5年生のわたしはテレビが一区切りついたら弟と食卓につくといった毎日。寂しいと思ったこともあったかもしれないが、母不在の時間が待ち遠しくて、早く出発してくれたらいいのにと思うことのほうが多かったように思う。
流れていた番組が特に好きだったわけでもないわたしは、呼ばれるままに立ち上がり母の部屋に向かった。畳を踏み込むと、むわっとした匂いがする。香水なのか化粧品なのか、わたしはこの匂いが苦手だ。仕事モードで戦闘態勢に入った母がいつもその匂いをまとっている気がするから。壁一面洋服ダンスに囲まれた和室。そこに飾られているチマチョゴリを着た韓国人形が目に入る。今にも動きそうである。この部屋はわたしにとっていろんな違和感がある。部屋の奥に目を遣ると、煙草をふかした母がドレッサーの前で小さな椅子に腰かけている。わたしが近づいていくと「この畳、もう変えなあかんな」と煙草の煙を吐きながら母が言った。椅子の下だけ畳がボロボロになっている。そこだけが本当にボロボロ。それは、とっても太ったフィリピン人女性が少し前までそこに毎日座っていたから。母の店に勤めるフィリピン人女性だ。セシールと呼ばれていた。そういえばあの人はいつの間にかいなくなっていた。今どうしているのだろうとふと思った。
灰皿に煙草を押し付けながら母は鏡に向きなおった。「ちょっと今日編み込みして」コンパクトから取り出したスポンジを顔に押し付けながら母は言った。髪の毛を結うのが好きだったわたしは、頼まれれば特に抵抗なくこうして母の髪を編んだ。順番に髪を掬って編んでいく。左右対称になるように、崩れないように慎重に編んでいく。カーラーで巻かれた髪は編みやすかった。赤っぽくカラーリングされていた。そういえば、赤くなりすぎたって少し間に母がぼやいていたことを思い出した。母がなにか言っているのが聞こえる。見ると、鏡をのぞき込みながらなにか言っている。「なー、ゆみちゃん、見て、変じゃない??いや、変やわ、もーまたやり直さなあかんわ」というのが耳に入り、あ、また眉毛がうまくいってないのかとわたしは思った。「そうかな」と言いながらわたしはドレッサーの引き出しから黒いゴムを取り出した。ゴムで縛り「できたよ」と伝えたら、「これつけといて!」ってキラキラしたバレッタを渡された。こんな重いものを頭につけるのかと思いながら、バレッタで髪をまとめると「ありがとう」といいながら、手鏡を取り出した。合わせ鏡でいろんな角度から後ろ姿を眺めている。「いやーやっぱりうまいなー」といつも母は言った。その声にニュースキャスターの声が重なってきた。わたしはそのままダイニングのソファにドサッと身体を預けた。黒い本革のソファが冷たくて心地よかった。顔を上げたら、流れているテレビ番組がさっきと違っていた。ドタンバタン、ドタンバタン。タンスを開け閉めする音が数回聞こえた。母がなにか言っている。はいはい、戸締りと火の元ねとわたしは心の中でつぶやいた。パタンパタン、ガチャガチャ、カンカンカンカンカン・・・・。わたしはソファに座りなおし、リモコンを手に取った。



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