大学教員のそんなんありなん!可能性は∞インタビュー♯山本良太さん<前編>
お久しぶりです、関西学院大学の活動団体である夢調査プロジェクトのarinanです!
私たちは、将来を迷っている学生に、インタビューを通して「そんなんありなん?」っておもう夢の選択肢を見せることを理念として活動しています。
これからのインタビュー内容は、このnoteに投稿していく予定です。
2023年第1弾可能性は∞インタビューは、特任准教授の山本良太さんです!
【後半】はこちらから⇩
山本良太さんプロフィール
関西大学総合情報学部総合情報学科を卒業後、同大学院に進学。その後、東京大学の特任助教を経て、現在は大阪教育大学理数情報教育系の特任准教授として活躍中。専門は「教育工学」。元々高校の情報の先生になろうと思っていたが、ひょんなことからフィリピンと関わって、海外の教育支援も行なっている。関西学院大学のアカデミックコモンズプロジェクトにも研究者として関与。
「自分じゃないとできないこと」
嫌いだった学校の授業を変えたい
元々学校の勉強が大嫌いで「これ意味あるの?なんでこんなことしなあかんねん」とかを思っていた。実際に学習している立場からすると、勉強よりも、委員会や児童会でみんなでわちゃわちゃやるとか、放課後みんなで遊んだりすることの方が楽しかった。高校でも部活してる方が楽しかった。勉強は、試験ための勉強しかしてなかったから、すぐ忘れるし、いい思い出がないと思っていた。
だけど、大学入学時に「取れる資格を全部取ったろ!」と思って、特に目的はなく、教職の科目を受講したときにちょうど、「高校の情報」っていう授業が新しく出来た。問題解決をするための道具として、情報機器を使えるようになろう!ていう目的が、凄い面白いなと思った。パソコンの技術を学ぶだけじゃなくて、ネットを使って様々な問題を解決したり、ツールを使っていろいろな情報を得る授業が行える。そんな学校と現実をつなげられるポテンシャルがある授業ができたんだっていう風に感じた。その時はまだ、情報の授業をどういうふうにやるのかが全然定まってなかった。面白くなかった学校の勉強が自分で面白くできるんじゃないかっていうふうに思ったのが、先生になろうって思ったきっかけの一つ。
先生じゃないかもと思わされた学校のリアル
その後、大学に入って、自分で面白い授業を作りたい!って思って「高校の情報の先生になるぞ」と目指し始めた。大学3年生の時には、教師になるために本格的に修行をしようと思って、学校現場で先生たちと一緒に授業を作るプロジェクトに毎日のように行って頑張ってた。でも、結構理想と現実は違ってることに気づいた。以前までは、情報の先生になって、「問題解決のための社会で使える技術や考え」を教えたい思ってたけど、実際に学んでいる高校生が気にしてるのはテストの成績や評価で、結局、先生たちがどれだけ熱意を持っていても、学校の環境が、子供たちをそういう風にさせるんだなとすごく感じた。改めて、本当に自分はこういう環境の中で仕事したいんかなとか考えてみたら、すごい虚しくなってきて、目指すところは先生じゃないかもと思った。
大学教員を目指したきっかけはフィリピン
先生じゃないかもって思った時に、3年生の時にフィールドワークでフィリピンに行く機会があって、その時に感銘を受けて、お世話になった人とか、関わった方に恩返ししたいその気持ちで、国際協力の専門家っていう形で教育の分野で国際貢献を何かできないかっていうふうに思い始めた。大学に帰って、大学院に入学したときは情報の先生になるために、もうちょっと修行するぞってまだ思ってたけど、実際入ってみたらフィリピンのことばっかりやり始めていた。国際協力、国際貢献やると決心した。修士課程を修了するタイミングで、青年海外協力隊(現在のJICA協力隊)に行こうと思って応募したが落選して、どうしようと思ったけど、再度卒業してからもう一回受けて、行ってもいいかなみたいに思ってた。同時期に大学院で、リサーチアシスタントのような形で、大学院生を雇用しながら研究も継続できるシステムを作られようとしてた。「あ!このほうが自由度が高くて、いろんな研究とか、その国際協力を絡めながらできるな」と思った。元々フィリピンにしか興味がなくて、協力隊としてフィリピン以外に行かされる可能性もあるなら、大学院に残って好きなフィリピンや研究とか今までやってきたこともあるし、それを発展させる方が良いんちゃうかって思って大学の先生になろうと思った。自由な形で、自分に合った働き方だった大学教員の姿に憧れた。
教育工学を研究する
コンピューターやICTのような新しく開発されたものをどのようにして教育現場で使うのか。テクノロジーはデバイスとかに限らない。もっと広い意味で、学習スペースのことを研究、ネット環境という意味では、チームも1つの環境。例えばメンバーで一緒に活動しているチームをどういうふうに設計するのか、みんなが頑張って活動できるように整えていくことができるのかとか、そういう教育方法に関わるいろんなことを対象にして研究する。そして、「教育にとって良いことを導いていこう」というような学問を研究している。
条件は「自分にしかできないこと」
仕事全般ではずせない条件っていうか、やりたかったことは共通して「自分じゃないとできないこと」。大学に入る前は、「伝える仕事」をしたくて新聞記者を目指してた。そのときも自分の意見や考えとか、自分が調べたことをメッセージで伝えてみたいとかって考えてた。同じ土俵で勝負しても意味ない。ってのは思っていて、勉強も得意じゃなかったし、比べられるよりも、違うところ、違う評価基準でやろうとおもった。だからこそ、比べられるようなことじゃなくて、「自分の好きなように自分の意思で何かできるようなことをずっとしたいな」というふうに考えていた。だからこそ、高校の先生になろうと思ってたのが、高校の先生じゃないっていうふうに思ったし、行きつく先がたまたま大学の教員やったっていう感じ。
「お世話になったからお返ししなあかん!」
フィリピンでみつけた自分にしかできないこと
大学3年生の夏に、ゼミのメンバーでフィールドツアーに行くことになったことがきっかけ。2年生の秋終わりから取っていたゼミは情報の先生になるために入っていたし、当時は海外に1mmも興味なかった。英語も普通にしゃべれない。だけど、そういう機会でもない限り、海外なんかいかんなと思って、行くことにした。ゼミのほかのメンバーと一緒にフィリピンへ。たまたまその時は自分は情報の先生になろうと思って、いろんなことを勉強してるし、教育現場とかを見る機会が多くて。そういうので提案とかできたらいいやみたいな感じで行ってんけど、行ってもなんもできないし、何も分からないし、英語も喋られへんし、ただただ心をおられるっていう。でもすごいフィリピンの人たちにすごいお世話になって。「お世話になったからお返ししなあかん」っていうふうに思った。情報の先生になることが微妙に思うようになって、色んな人とかかわれるフィリピンのほうがすごく面白く感じてはまっていった。でも向こうの人たちに迷惑かけることいっぱいあったし、めっちゃお世話になって、またお返ししなあかんわみたいな感じでずっと繰り返してて、そういう自分にしかできひんことの形のもすごく面白いんじゃないかなっていうふうに思い始めた。
☆arinan編集あとがき<前編>☆
今回、インタビューをさせていただきました、ほのちゃん🐻です!このプロジェクトを立ち上げてから、山本先生には1年前からお世話になっていましたが、深い話を聞くのは初めてで、山本先生が大学教員を目指すまでに、紆余曲折しながら、悩んできたと知り、親近感が湧きました!紆余曲折してきたのも、実際に経験したことから考えられてるんだなぁと思い、経験することの大事さを改めて感じました。先生の利他的な活動意欲のように、利他的にどんどんいろんなことに経験、行動していきたいと思います!
実は今まで、関学の教員ではない、山本先生がなぜ関学に来ているのか、ひそかに疑問に思っていました(笑)。でも、「教育工学」という言葉を聞き、それについて研究してると聞、納得しました!私たちのチーム力もぜひ研究に役立ててほしいです!!
https://www.instagram.com/arinan0422/
↑arinanのインスタグラムです!他の記事や活動も見られるので是非!
最後まで読んでくださりありがとうございます!後編もご覧ください☆