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「幸せへの罪悪感」を感謝と共感に変換したい

ニュースやネット上には、胸が痛むような出来事が溢れている。
それはここ最近始まったことではなくて、もうずいぶん前からそうなのかもしれない。

歳をとって涙もろくなったせいなのか、報道を見て涙することも多い。

この世界のどこかで誰かが傷ついたり苦しんだりしているのを目の当たりにすると、自分の幸せに罪悪感を持つ。

こんなに苦しんでいる人がいるのに、私は楽しんでいいのだろうか?声を出して笑っていいのだろうか?
noteに楽しかったことや嬉しかったこと、幸せな時間のことを書いていいのだろうか?

思いやりや他者への共感があるからこその罪悪感だから、それを見せることが美徳とされる場面もあるだろう。

でも、罪悪感から何が生まれるのだろうか?

罪悪感を満たした心で過ごせば、今自分に与えられた幸せに感謝することを忘れてしまうのではないだろうか。
そう考えた時、罪悪感を持って過ごすよりも、今の自分の幸せを素直に受け取って感謝したいと考えた。

例えば、家族で食事をし、美味しいものを食べ、楽しい話をして、笑い合ったとする。

その時罪悪感が心を支配しているならば、
「あっ!笑ってしまった、世界には笑えない状況の人がたくさんいるのに。私のバカバカ!私の人でなし!」
ということになる。

下手をしたら、ゲラゲラ笑っている家族に対しても
「今は笑える状況じゃないでしょ。黙って食事してちょうだい。」
なんて言うことになるかもしれない。

これでは、自分の幸せに感謝することを忘れることになってしまうのではないだろうか。

そもそも「罪悪感」とは罪に対する感情だ。
幸せは罪ではないのだから、罪悪感を当てはめる必要はないと思う。

今ある幸せを素直に受け取って感謝する。
今出来ることを精一杯実行する。
そうして生まれた幸せはまわりの誰かを幸せにする。

これは「脳内お花畑」みたいな話ではなく現実的な話でもある。

罪悪感を持ってうつむいて暮らす中からいいアイディアは生まれるだろうか?きっと幸せな気持ちの方が発想も行動も上手くいく。
素直に幸せを享受する方が、罪悪感いっぱいで過ごすよりも生産的なのだ。

幸せをじゅうぶんに感じて、自分の人生を精一杯生きる。
そうして、もし幸せが増幅したならば、まわりにもおすそ分けできる。

具体的には、自分の能力を最大限に発揮して
より良いものや労働力を生みだして世の中の役に立てたり、稼いだ分から寄付したりできるということだ。

だから「幸せに感謝して今を生きる」ことは、結果的に今苦しんでいる人の役にも立つのだと思う。

そして「幸せをおすそ分けする」という考えを持つためには、悲しみや苦しみを持つ人への共感が必要だ。
共感がなければ「自分さえ幸せなら他人は関係ない」ということになる可能性があるからだ。

そうした共感は、幸せを知っているからこそ感じやすいのではないだろうか。

幸せな時間を知っているからこそ、それが奪われた時の気持ちがわかる。

だから、特に子どもたちにはうんと幸せを味わってもらいたい。
これからの世界を作っていく子どもたち、若い人たちには、幸せと、それがなくなることの悲しみや苦しみへの共感を感じて欲しい。

悲しみが溢れる世界で私が出来ることは小さいことだけかもしれない。
それでも、今を精一杯生きて幸せを素直に受け取り、それを身近な人に広げていくことを重ねていきたい。


私のnoteでは、自分の「ぷち幸せ」についての記事が多めだ。
最近の記事でも幸せな時間について書いている。
それらの記事を書いている時に、私は「罪悪感」を感じたのだった。

そこから考えたことが今日の記事だ。

だから私は、日常の暮らしの中で感じた「ぷち幸せ」をこれからもnoteに綴っていくのだと思う。


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