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夏の記憶

夏の甲子園が始まった。
始球式でボールを投げたのは、WBC元監督の栗山英樹氏。
隣に並ぶ高校球児にも気さくに声をかけ、投球後も球児らと握手をし、審判や関係者、スタジアムに何度もお辞儀をしながらグラウンドを後にした。

ああ夏が始まる。


高校に入学して、初めて応援団なるものを間近に見た。
学ランを着て拳を突き出し、声を張り上げ応援歌を歌う姿がとても新鮮でカッコ良かった。
友達とキャアキャアいいながら、応援団の中でどの人がいいか?なんて話した。
私は団の中では少し背の低い、向かって左側の人のファンになった。学年は一つ上の2年生。
進学校で頭に剃りが入っているのは、応援団の人達くらいだ。
基本的にヤンキーは好きじゃなかったが、違う、応援団は硬派なだけなのだ。

私がファンになったKさんももれなく剃りが入っていて、でもとてもやさしい目をしていた。

総体が始まる前の壮行会、野球部のための応援歌の練習、応援団が体育館のステージに現れるたびにキャアキャア言った。
「Kさんカッコいいー!」

同級生に下っ端応援団の男子が2人いた。ある日、そいつらから呼び出された。

「Kさんが待っとるけん、部室行って!」

え、なんで?

なんだかよくわからないまま、応援団の部室の前まで行った。
例の下っ端男子2人が傍らでニヤニヤしている。
少しすると、中からKさんが出てきた。ボンタン(ボタっと太い、学生服のズボン)に手を突っ込んで私のところまで来た。
「付き合うんか?」

へ?
付き合うんか?

違う違う、そうじゃない。

「あっ、は、はい」

はい?はいって言うた?私。
違うやん!そういうのと違う……。

お付き合いすることになった。

あいつら、私がキャアキャア言ってたのを嗅ぎつけたんやな。ファンでよかったのよ、ファンで。要らんことしやがってー。

部活終わりはいつも、私を含めた部活メイトの女子5人で帰るのがお決まりだった。くだらない話をしながら、長い坂を笑いながら下っていく。
練習はとてもキツく、明日にでも辞めたいと毎日思っていたが、このみんなとの時間が楽しくて。

K先輩とお付き合いするようになってから、部活メイトとは違うルートで帰るようになった。
そう、先輩と一緒に。先輩の自転車の後ろに乗って。

腰に手を回すなんざできるわけもなく、振り落とされないように、サドルの下を両手で必死に握った。

春の終わりに始まった、“じゃない”お付き合い。とにかくぎこちない。
それでも夜には短い電話をし合った。
なんせ硬派だから、お世辞にも楽しい話ではなかった。

それでも一度先輩に誘われ、先輩のうちに遊びに行ったことがある。日曜でも部活はあったはずだが、なんで行けたのかもう覚えていない。
先輩のお母さんがニコニコと迎えてくれ、そのまま2階の先輩の部屋へ案内された。応援団の写真を見せてもらったりしていると、妹さんと小さい弟さんがアイスクリームを持って階上までやって来た。2人ともニコニコしていた。
先輩はアイスを受け取り、2人に蹴りを入れる真似をした。仲がいいんだろうな。

K先輩はほぼ応援団の話しかしなかった。正直リアクションに困った。でもやはり先輩はやさしい目をしていた。

中学生の時もそうだったが、高校になっても私の恋愛偏差値は低く、先輩がどうのというよりも、お付き合いそのものにあまり興味がなかった。
それよりも私がいない間、部活メイトはどんな楽しい話をしながら帰っているのか、そんなことばかり気になって、もうこれ以上自分の気持ちに嘘はつけないと思った。

いつものように夜の電話をしている時、私は何も喋れなかった。沈黙を続ける私に先輩が言った。

「別れるか?」 

「はい……」と小さい声で答え、正直に部活の方が大事だと伝えた。先輩が嫌いなわけじゃないと。

「わかっとるわ!」

硬派な先輩。私を責めたり、文句を言うこともなく、静かに電話を切った。

ほんの数ヶ月で終わったお付き合い。
チューもしてなければ手も繋いでない。そんなの望んでもなかったし、もともと“じゃない”お付き合いだった。
ファンとして、キャアキャア言ってるだけで良かったんだ。そんな私のことを「目がきれい」と言ってくれ、数ヶ月のお付き合いで「ゾッコンやけん」とも言ってくれた。シブがき隊か!と思ったけど、まぁ、わかる人にはわかるだろう。
不義理なことをした。優柔不断は人を傷つけると、昔、父から言われた事がある。その通りだな。

季節は夏になっていた。

夏の甲子園が始まった。
一回戦、まだ真っ白なユニフォーム。笑顔を見せる高校球児。地方大会を勝ち抜きここまで来た。憧れの場所に立つ喜びの笑顔なのかな。まぶしい。
みんな頑張れ!
『熱闘甲子園』の録画予約もバッチリだ。

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