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人間に恋をした猫




ミーシャは2歳になる雌猫で、人間の年齢にすると24歳です。
商社に勤めているアランは、一人にしては広すぎる高層マンションの17階にミーシャと一緒に住んでいます。
アランはミーシャをとても可愛がっていて、いつも一緒のベッドで寝起きし、目覚し時計代わりにミーシャがアランの顔をペロペロと舐めて起こします。そして、アランが身支度する時には、靴下とネクタイをミーシャが選んでくわえてくるのです。
「僕の可愛いミーシャ!君が人間だったら、きっといい妻になるのになぁ~。愛してるよ!ミーシャ」
それがアランの口癖でした。

ミーシャは自分が猫であることが嫌でした。
それは、アランを愛していたからです。
アランに『愛してるわ』と言ってみても、アランには「ミャ~、ミャ~」としか聞こえませんし、なにかしようにも不便なことばかりなのです。
猫の神話に、三日月の夜に涙を瓶に詰め、満月になるまで祈るとどんな願いも叶うといういい伝えがありました。
『人間にさえなれたらアランの愛に答えることができる』と考えたミーシャは、三日月である今夜、それを実行することにしました。
雲が流れ、三日月が顔を出したその時、ミーシャは神話の通りに自分の涙を瓶に詰め、『人間になりたい』と月に願いました。そして毎日、月に向かって祈りました。


高層ビルの最上階にあるバーでは、アランとシェリーが少し欠けた月を眺めながらカクテルを楽しんでいます。
ふたりが出会ったのは、つい一週間前のバスの中でした。
その日、急いでバスに乗ろうとしたシェリーのハイヒールのカカトが折れ、たまたま後ろにいたアランが、倒れそうになった彼女を抱き止めました。
その時、偶然にもアランの鞄の中には瞬間接着剤があり、その折れたヒールのカカトをバスの中で着けてあげたのです。
その日の内に、シェリーがその御礼にとアランを食事に誘い、アランは一晩でシェリーに恋をしました。シェリーもまた、アランに出会った時から一目惚れしていたのでした。
ふたりは毎日のようにデートを重ねました。
そして今夜、アランはシェリーをミーシャに会わせようとしていたのです。
「今夜は、君に僕の大切な可愛い友達を紹介するよ!」
そう言ってアランはシェリーを家に招待しました。
シェリーが「それはどんなお友達なの?」とアランに聞くと「会ってのお楽しみだよ!シェリーとも、いい友達になれるはずさ!」と笑顔で言うのでした。
そしてふたりはミーシャの待つ家へと向かいました。

その頃、ミーシャは窓辺から見える月に今夜のお祈りを終えたところでした。
『ああ・・満月まで後2日。人間に生まれ変わった私を見てアランは何と言うだろう。喜んで飛び跳ねるかしら?それとも、ギュッと抱きしめてくれるかしら?もうすぐよ私のアラン・・・』
そう呟き、ミーシャはアランの帰りを待っていました。

そんなミーシャを夜空に浮かぶ月は
ただ静かに優しく見守っていました。

アランがドアを開けると、ミーシャは玄関先で待っていました。
アランはミーシャを見つけると、
「ただいまっ!可愛いミーシャ。待っていてくれたのかい?愛してるよ!」
そう言いながらミーシャを抱き上げました。
ミーシャはそんなアランに頬摺りし、うっとりしました。
暫くアランに気を取られていたミーシャは、やがてアランの後ろにある気配に気づき、ビクンとしました。
シェリーがミーシャにあふれるほどの笑顔をそそいでいたのです。
「ミーシャ!今夜は君に素敵な人を紹介するよ!」
「今晩は!ミーシャ。私はシェリー!よろしくね!あなた、とってもチャーミングだわ!」
ミーシャの頭の中はパニックになっていました。

『アラン、その人は誰? 女の人を連れてきたことなんて、今までになかった!アランのシェリーを見つめる目・・アランが愛しているのは私よ。そうでしょ?アラン』
そして、シェリーがミーシャに触れようとした瞬間、ミーシャは爪をたてシェリーの指を思いっきり引っ掻きました。
「きゃっ!!」
「ミーシャ!なんてことをするんだ!シェリー、大丈夫かい?」
アランは、ミーシャのとった行動が信じられませんでした。
「私、嫌われちゃった・・・」
シェリーは涙を浮かべました。
ミーシャは、寝室のベッドの下に潜り込み、その夜はアランがいくら呼んでも宥めても出てきませんでした。


いよいよ満月の夜がやって来ました。
ミーシャは窓辺に立つと、涙の入った瓶を月に差し出し『私を人間にして下さい』と言って祈りました。
すると、月の光に照らされた涙が輝きはじめ、ミーシャの身体は美しい娘の姿へと変わっていったのです。
ミーシャはすぐさま鏡の前に立ち、自分の姿を映して見ました。
「ああ・・・願いが叶ったのね!アランに早く見せたい!」
その夜、アランが帰宅すると部屋は真っ暗で、窓から月の光が差し込んでいました。
「ミーシャ?ミーシャ?どこにいるんだい?」
アランは月明かりの中、ミーシャを探しました。
そして寝室のドアを開けると、ベッドに座っている人影がありました。
「だれ!?」
アランは驚き、恐る恐る問いかけました。
ミーシャは立ち上がり、「アラン!」と言いながら抱きつきました。
「待って!君は誰なの? どうして此処にいるの?」
「アラン!私よ。ミーシャよ!」
「ミーシャだって? 僕の猫と同じ名前だけど君のことは知らないよ」
アランは抱きついている女性を軽く押しやりました。
すると、ミーシャはアランに自分が猫のミーシャである事を信じてもらうために、神話のこと、そしてそれを実行したことを話しました。
「君はイカレているのか?」と、アランは信じるどころかますます不信感をいだき始めたのでした。
信じてもらえなかったミーシャは、今度はアランとミーシャだけしか知らないことを話し始めました。
「そんなまさか!!いや、そんなことありえない!」
「アラン、お願いだから信じて!」
「ほんとに君はミーシャなのか!?そんなこと、あるはずがないよ。でも、よく見ると瞳がミーシャにそっくりだ。そしてその髪も・・・」
「そうよ。私はあなたが愛していた猫のミーシャよ」
「君がミーシャだと信じたとして、何故こんなまねを?・・・」
「愛してるよ。君が人間だったらいいのにっていつも言っていたでしょ?私もアランを愛しているわ。だから人間になりたかったの」
「ミーシャ・・・」
アランはミーシャの気持ちを知り、こんなことになってしまったことに戸惑い、悩んでしまいました。
それに、ミーシャはアランの妻になることを信じているようなのです。
しかし、アランには愛しいシェリーがいます。
シェリーは今のアランにとって、かけがえのない存在です。
その事実をミーシャにどう伝えれば良いのかわからず、アランは悩んでいるのでした。
ミーシャが人間になって三日が経ちました。
その間アランは帰って来ませんでした。
アランにとって、シェリーが自分よりも大きな存在であることはこうなる前に気づいていました。
でも、人間になったら、アランの気持ちが自分の方へ向いてくれるという期待がミーシャの中にはあったのです。
その日の夜、アランがミーシャに自分の気持ちを伝えるために帰って来ました。
「ミーシャ、僕はシェリーを愛している。もちろん君も愛してる。だけどそれは、猫だった君で人間じゃない・・・でもねミーシャ、君がシェリーに出会う前に人間になって僕の前に現れていたら僕は君に恋をしていたかも知れない」
「アラン・・・」
「ごめんよ、ミーシャ」
ミーシャはこうなることがわかっていました。
わかっていても切なくて悲しい気持ちは消えません。
ミーシャはテラスまで駆け出すと、一度アランの方を振り向き、そして、悲しそうな顔を無理に笑顔に変えると、闇の中へスッと消えてしまいました。
それはアランが、涙を浮かべているミーシャに触れようとした瞬間の出来事でした。
アランが慌ててテラスに駆け寄り、ミーシャの名前を叫びながら下を見下ろすと、そこには血を流した猫が小さく見えました。
空に浮かんだ優しい月の光に照らされたミーシャを抱きかかえ、アランはいつまでもいつまでも泣き続けました。






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