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就活し忘れ、アフリカの村に逃亡した話①

私は早稲田大学時代に就活をし忘れた。

というのもカイシャインになりたくなく、一発ドカンと画家にでもなって稼ごうと思っていた。
しかし、途中でどうしても華金がしたくなり、就活を始めた。私は世界を紙芝居のように見ており、カイシャとは「入れてくれー」と門を叩けば、入れてくれるもんだと思っていた。
しかし、世間はスキルもない既卒ニートにはとても厳しかった。

なら自分で会社を作ればいいんじゃないか?

世間が私を雇う気がないなら、自分で自分を雇うしかないと既卒ニートの私はまるで名案を思いついたかのように、鼻息を荒くした。

すぐ倒産しそうな人のビジネスモデル

(卒業後運良く映像制作会社でアルバイトをしていたが、私が勤務中に脱走したりするので、半年で雇い止めされた)

無駄に行動だけは早いので、私は早速起業家が集まるZOOMに参加した。
それがボーダレスジャパンというソーシャルビジネスに取り組む素敵な会社だった。その日は、ガーナにチョコレート工場を建てた田口愛さんが発表していた。日本で販売されているガーナ産のフェアトレードチョコレートは、貧しいカカオ農家を支援している。

チョコレートで起業とは、私にとって大発見だった。

私は起業やビジネスは毎日Excelやパソコンに身を捧げる覚悟のある人しかやってはいけないものだと思っていたが、チョコレートというなんだか楽しそうなもので起業できるとは私の価値観が大転覆した。

そう感心した私は、一発ガーナで工場を作って、私も工場長にでもなろうと思い、知り合い0のガーナに行くことを決心した。

なんでこのZoomに参加しただけでよし、アフリカに行こうとなるのは意味不明かもしれないが、これが私の紙芝居思考である。

ガーナはどうやらアフリカの中でも優等生らしく、都内は東京と同じような暮らしをしているらしい。しかし、それでは意味がない。
私は途上国の貧困を自分の目で見たかったので、貧しい村で過ごしてそうな人を位置情報から探し、SNSでメッセージを送った。すると彼は一発OKを出してくれた。なんともZ世代らしい行動だろう。

ワクチンを一つしか打たずに、渡航

急にガーナに行くことを決めたため、とてもあたふたしていた。

ワクチンが先なのか、飛行機が先なのか、自分の中でも混乱していた。
しかし、私は怠惰な自分の一番の理解者である。自分は目的がないとワクチンなど打つはずもないことを一番理解していたため、航空券を先に買ってしまった。

貧乏ニートの私は、どんなに乗り継ぎが過酷であろうと安さが第一優先なため、
毎日株を見る並に飛行機の価格画面を睨んでいた。

そこで3週間後に、1月シーズンでは破格の16万円という飛行機を見つけたため、急いで予約した。(相場は19〜20万)

飛行機を取り終わった後、
自分でとったくせに「やってしまったぜ・・・」となんだか後悔した。
その日私は「何故アフリカに一人で行くのだろうか」ととても不思議な気分で夕方を迎えた。

アフリカ大陸すらも、ギリギリチャレンジで挑む私に結構感心した。
おかげでビザの発行もギリギリだ。

一応大使館には電話とメールでこれで間に合うのかと確認をして、申請したのだが、本部の方ですれ違いがあり、

この日付では間に合わないビザが発行されてしまった。

フライトはもう3日後なのだと大使館で嘆く私

フライトをギリギリでとった自分のせいなのに、私はなんとしてでも変更してもらおうとChatgptに「事前に大使館に確認を取ったので、私は悪くないんだという論理的な台本」を作ってもらい、それ通りに話し、なんとか優しいガーナ大使館の人は日程変更をしてくれた。

次に怖いのが病気である。

外務省のサイトを見ていると、やたら病気について脅してくる。

狂犬病狂犬病ととてもうるさい。

どうやらこの狂犬病や腸チフスのワクチンは、渡航1ヶ月前から準備しないといけないもので、もう時すでに遅しらしい。

Twitterでアフリカに住んでいる人びとに連絡をしてみると、みんなワクチンは13個ほど打っていた。しかし、ここでワクチンは全部打つと10万円ほどかかることが判明し、無職で貧乏な私には、1年前からガーナ渡航を企てていても無理な話であった。私はその時本物のニートで人生に特に希望を見出していなかったため、最悪ガーナで病気にかかって死んでもいっかくらいの気持ちでいた。

だが実際調べてみると、狂犬病で亡くなった人は年間2人とかみたいだ。
それなら、私が亡くなる時はガーナ人も全員犬に噛まれる時だろうと思ったため、まあ村全体が犬に殺されることはないだろうと思った。これがメディアの情報に踊らされないということである。

ガーナ入国条件である黄熱病のワクチンは、保健所にもうすぐ渡航するから早く打たないと間に合わないのだということを必死に伝え、間に合う日付で打たせてもらった。

色んな機関に「3週間後にアフリカに飛ぶので、書類は早めでお願いします」とお願いすると、国際機関で働いている優秀な人だと思われる。しかし蓋を開けると、自分でも行動が衝動的すぎて、何故アフリカに行くのかよくわかっていないしょうもない既卒ニートである。

アフリカは特定の蚊に刺されるとマラリアという病気になる恐れがあるため、大抵の日本人はアフリカに行く前はマラリア常備薬も買っていく。
しかし、泊まる予定のガーナ人の彼は、毎日笑顔でストーリーを更新している。そんな彼の自撮りを見て、まあそんなに怖そうな国じゃないなと思い、現地に着いてから、300円の薬を調達することにした。(日本で買うと1万5千円)

一応母にはシナモロールのぬいぐるみを「これを私の形見だと思ってくれ」と渡したら、「まあ死んだら死んだで運命ってことよ」と言われ、シナモロールをそこらへんにポイっと投げられた。彼女は私の形見をなんだと思っているのだろう。

ついにガーナに行く日が来てしまった。

私は何で自分は1人でアフリカに行くのか不思議でたまらなかった。
自分で自分のしていることが怖かった。

そもそも泊めてくれると言っている貧しい村で売られたりしたらどうしようという最悪のパターンも想像して、逃げるシミュレーションもしておいた。

羽田からドイツまでの14時間のフライトで、フランス映画を見て、パリに住みたくなった。しかし、私が今から向かのは真逆のアフリカ大陸である。

フライト中もパリにいる夢を見た。昼間からワインを飲んで、お花を持って歩いていた。

14時間ぶりに足を伸ばしてガッツポーズしたのは初めて

機内でアフリカの歴史本を読んだが、アフリカのクーデターや内戦について書かれていて、ますます目的地をパリに変更した方がいいのではないかと思ってきた。

乗り継ぎは非常に過酷で、飛行機を3回乗り換えた。

エジプトに着いたが、文字が蛇みたいにふにゃふにゃでよくわからないし、バーガーキングの床がビショ濡れで、いよいよ日本から離れてしまったのだと思い知った。

初のアフリカ大陸(エジプト)はみんな石油王みたいに明るく、私だけが食べ物も水も買えない貧乏人のようで、虚しくなった。

1日は横になって寝ていない状態なので、飛行機の席2つ分に体を丸めて小さく寝た。この時初めて自分の低身長に感謝した。これならアフリカでどんなに寝れない状況に置かれても、寝れそうだ。

いよいよガーナに行く最後の便だ。

インスタ用に撮ったが、載せそびれた写真

私はそこでガーナ人の男性と席が隣になる。
飛行機にも乗っているし、彼はガーナの中でも裕福な部類に入ることがわかった。子供達は私立に行っていて、生活は日本での生活とあまり変わらないらしい。
二日間のフライトで疲れていた私は寝たり食べたりを繰り返しながら、彼と楽しく話した。帰国前には、ガーナの首都を案内してもらう約束をした。

いよいよガーナに到着した。

空港が綺麗で驚いた。

荷物が届いているのか不安だった。とはいえ、まあ正直全部盗まれてもいいものを持ってきていた。
サッカーグッズや使わなくなったiPhone、PCや服などをガーナの人たちに持ってきたのだが、これを日本からガーナの人たちに渡せたら面白いなと思っていた。その結果、荷物の総重量は45kgにもなり、まるで私がもう1人いる状態になってしまった。

日本は真冬だったため、私はヒートテックを着ていたが、外に出た途端に焼かれる太陽に照らされ、急いで脱ぎ払った。渡航前に風邪をひいていたが、いつの間にか治っていた。

SNSで知り合ったガーナ人のいとこに出会う

ついに、空港でSNSで知り合ったガーナ人のいとこに出会う。
ガーナ人はとても陽気でフレンドリーなので、肌の白い人が登場すると物珍しさに大勢が話しかけてくる。しかし、飛行機で隣に座っていたガーナ人が彼らを追い払ってくれた。

日本のガーナ大使館のHPでは、ガーナではスリや殺人が多発していると書かれていたので、私は着くやいなやカツアゲをされたり、ナイフで脅されるのではないかと心配していたが、実際はとても平和そうな国だった。ガーナ人はオシャレが文化の一つみたいで、服装もみんなオシャレで見ていて楽しかった。

メディアが語らないガーナの豊かな日常

いとこに会うや否や「ガーナに来たら殺されるかと思ってたぜ〜」と言ったら、大笑いされた。「とても平和な国だよ、僕の大好きな国さ」と言われた。

そこで私は、アフリカに対する自分のイメージが、メディアが提供する一面的な情報に強く影響されていたのではないかと気づいた。テレビではアフリカの貧困が頻繁に取り上げられるが、アフリカには豊かな文化や多様な生活が存在することを忘れてはならない。

朝のガーナのマーケット
村のマーケット
泊まっていた村(ここが大好きだった)
ガーナの友だち

確かに、この国は経済的には異なる側面を持っているが、それは単に比較の問題ではない。地理や気候条件が異なるため、生活様式や価値観も異なっている。例えば、気候に適応した生活を送る人々にとって、私たちの考える「普通」が必ずしも当てはまるわけではないのだ。

そのため、先進国から見ると異質に映るかもしれない日常も、彼らにとっては当たり前のものであり、その背景には深い理由がある。テレビの画面に映る彼らの表情が、私たちの思う「貧しさ」や「困難」を必ずしも意味するわけではなく、むしろ私たちが知らない新しい世界に出会ったときの驚きや戸惑いかもしれない。

まだガーナのすべてを知っているわけではないが、確かにこの国には私たちが想像し得ない、別の形の幸せが存在しているのだろうと感じた。彼の言葉を聞き、この国での1ヶ月が、私にとってどんな発見や学びをもたらすのか、楽しみになってきた。

続きます☺︎(フォローしすると続きが出た時お知らせがいくので、フォローしてくれたら嬉しいです)

ちなみに私は無事帰国後華金をしたいがために一応就活をして内定書く時できました。内定獲得した方法はこちらから↓

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