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愛と憎しみ。

 炎天下と思ったら雨が降ったりして変化が激しい天気ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はどんな天気でも前を向いて進んでいます。

 昨日は職場の歓迎会があって夜遅くまで飲んでしまったので、noteが更新できませんでした。今日もまだアルコールが残っているのか、さっきまで寝てしまって今慌てて更新しています。歓迎会ではほぼ上司の人たちとたわいもない話で盛り上がってしまいました。しかし、その合間にうちの職場にいつまでいるのか聞かれるので、のらりくらりとかわすたびに酔いが醒めてしまいました。今日も私一人がほとんど電話応対していたのですが、その対応を聞くたびに「ほんとうに安心するわ。」と褒められながら、ずっといてほしいと付け加えられてしまいます。こんなに私のことを必要としてくれている職場はあまり経験したことがないので、どう反応したらいいのかよくわかりません。これまで経験した職場の中には、てっぺんまで登ったにも関わらず最後送別会もなかったところがあって、悲しい思いをしました。大学教員を辞める時もほぼ夜逃げ状態だったので、誰ともお別れの挨拶ができず仕舞いでした。

 こんなに打ちひしがれる経験を積み重ねると、どれだけ親切にされても信用できなくなってしまっている自分がいます。一番怖いのは自分がまた信じて裏切られた時に、そのダメージが計り知れなくて怖くなってしまいます。逆に自分が裏切る側になってしまうことも辛いです。そう考えると誰とも付き合わないのが一番楽な生き方だと思ってしまいます。

 この前もとある人から私のことを蔑むような発言していた人がいたと聞きました。当人はそんなつもりはないのかもしれませんが、それを聞いてしまった私の感情は穏やかではありません。そして、自動的に愛情から憎しみへと変化していく自分の心をただただ客観的に観察しています。客観的でなければ精神が崩壊するかもと思うから必死で距離を保とうとしているのが正解なのかもしれません。心の底ではそのような憎しみを決して持ちたくないと思っているのですが、どうしてもその人の態度や発言を知ってしまうと愛が腐っていくような感覚になるのが本当に嫌ですね。どうして人は素直に大切にしたいひとのことを好きで居続けることができないのでしょうか。憎しみは大切なひとを大切ではない人へと追いやり、その人を傷つけ、そして自分だけを正当化していく。こんな作業を繰り返しても誰も笑顔にならないのに、その連鎖が止められない自分に無性に腹が立ってしまいます。こうやってnoteでは心情を吐露していますが、実際には誰にもこのことを伝えることができません。もし、少しでも私のこの苦しみにそっと寄り添ってくれる人がいてくれたと思いますが、残念ながら私の身近にはいないようです。

 こんな状況だから余計に今の職場の優しさが心を抉られるような感覚に陥ってしまいます。時には優しさが人を傷つけてしまうのですが、優しさしか与えられない私は一体どうしろというのか思ってしまいます。今日もとあるお客さんが定年を迎えて、これからどうやって生きていけばいいのかと悩んでいるとお話されたので、そっと寄り添って話を聞きました。すると少し元気になったと言って最後に名前を聞かれて電話を切ったので、少し役に立ったのかと思います。こんな鍾乳洞のようなミリ単位の成長しか今はできていませんが、やがて以前見た美しい鍾乳洞のような世界が広がることを信じたいと思います。

 これから大学教員になるひとには、裏切られることの怖さを知りつつも少しでも前を向ける勇気があるひとになってほしいと思います。そして私もその勇気を持って自分と自分が大切にしたいひとを笑顔にしたいと心から願います。

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