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気の赴くまま

やんちゃ盛りの娘(9歳)と息子(6歳)、娘(1歳)のパパ。食堂と体育の授業のみ通い大学を中退。5年の不登校を経てお弁当配達フリーターから税理士となり起業。アフリカやアジアなど色んな国をまわり、地球全体での持続可能な取組みを始めるため学び場とびらを運営中。農家と銭湯の番頭を目指している。そんな僕のこれまでとこれから。


5年間の夏休み

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「誰も勉強しなさいと言わない?」


大学受験に失敗し、予備校に入った僕は人生で初めて勉強を強制されない環境に身をおいた。小学校4年の塾から始まり進学校の高校に通っていた僕にとって、こういう環境があることは地動説から天動説に変わるくらいの変化だ。


強制されたり、周りがしているから嫌々ながらも当たり前のようにやっていた勉強からの解放。その1年は365日のうち360日は遊んでいた。


翌年大学には入学したものの、授業に来なさいとも言われないのでそのままずっと遊び続けた。ひとり暮らしで自炊もしない僕は、それから5年の間、大学の食堂出席率だけ異常に高い大学生活を送ることになる。


今でいえば不登校というカテゴリーに入るのかもしれない。ただ当時はそんな言葉も知らず、あったとしても耳に入るような場所にはいなかった。


はたらくってなに?

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5年の夏休みを過ごした僕は大学を卒業することができず中退した。ちなみに獲得した単位は片手で数えられるくらいのはず。当時の口癖は「サラリーマンにはならない」※当時の彼女(現在の妻)証言


働いたこともないのに何言ってんだって感じだけど、経験がないのにそう思っていたのは社会の雰囲気がそうさせていたのかもしれないと今は思う。


中退後、仕送りを止められた僕は食べるに困らないという理由で弁当配達のフリーターを始める。自炊のできない僕にとってまかないが出たり、残ったおかずを持って帰らせてもらえるのはとてもありがたかった。


進学校から国立大学。普通であればその後に続くレールから完全に脱線した。もう戻ることもできないし、戻りたくもない。ようやく遊ぶのに飽きてきて何か目標が欲しかったのか、税理士という資格に興味をもち、猛勉強を開始した。


専門学校に通うお金もなかったので、お弁当配達の仕事が終わった後は家に籠って独学した。大学中退でそもそも税理士試験の受験資格がないことを知ったのはそれからしばらく経ってから。まずは受験資格を得るため、簿記1級を目指した。


理系だった僕は会計や税務の知識はゼロ。ただ勉強を開始してすぐに思った。これなら何とかなるんじゃないかと。知識はゼロだったが、高校に入るまでひたすら勉強させられていた間に勉強する方法を身につけていた。


25歳になって、人生迷子になりかけていた僕はようやく親や先生、嫌々でも頑張った当時の自分に感謝できるようになった。いつどこで何が役に立つかはわからないものだ。


試験だけでなく実務経験を積まないと税理士になれないことを知り、税理士事務所に就職。人生で初めて正社員となった。仕事と試験勉強の2足のわらじ。仕事仲間のお子さんの家庭教師で3足のわらじをはくこともあった。


ひたすら遊んで自分の欲求を満たすだけだった僕にとって、仕事で誰かの役に立ち、喜んでもらうのはすごく嬉しいことだった。4年かけて28歳の時に税理士となった。仕事で関わる中小企業経営者の力にどうすればなれるかを考え、足りない知識や経験を補うために貪るように本を読んだ。


一通りの仕事を覚えつつあった頃に出逢ったのが「日本でいちばん大切にしたい会社」という書籍。世の中には社員や家族、取引先、顧客、地域とみんなが喜ぶ理想の会社があることを知った。


こういう会社がたくさんの世の中にしたい。税理士として会計や税金のサポートをするだけでなく、いい会社になっていく応援をしたいと思った僕は事務所を辞めて独立した。


もがく日々

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顧客ほぼ0からのスタートだったため、自宅にオフィスを構えた。これまでいろんな中小企業の経営者とお仕事をご一緒させてもらってきたから、独立すればすぐに顧客も増えて軌道に乗ると思っていた。


しかし、全く問い合わせが来ない日々。


冷静に考えれば当たり前の話だが、僕が税理士事務所を構えたことを誰も知らない。自分がどうやら勘違いをしていたことに気づくのに時間はかからなかった。


これまで経営者にアドバイスを求められるポジションにいたから偉そうにアドバイスをしていたが、僕は事業をしたことがない頭でっかちの勘違いヤローだったのだ。


これからは自分で実践し、事業の価値を創っていくしかない。


僕にその経験はないのだから自分の頭で考えても仕方がない。僕は全国の経営者に教わる旅に出た。幸い、仕事がないから暇で時間はたっぷりある。金融機関から生まれて初めての借り入れもしてお金もあった。


ブログやSNS、本で面白そうな経営者の情報をキャッチしては会いに行く。いろんな経営者に会い、考え方や生き方に触れた。1年近く学び続けた。遠くまで出かけては帰りの飛行機や新幹線でどうすれば自分の事業は上手くいくのかを考えていた。


自宅兼オフィスに帰るとかわいい娘に癒される日々。生まれたばかりの娘の寝返りからハイハイ、つかまり立ち、歩くまで、初めてできた!をコンプリートした。近所の人からは育児休暇か失業中と思われていたかもしれない。仕事はないが一生に一度しかない時間をたくさん娘と共有できた心の豊かさはプライスレスだ。


心の豊かさと反比例するように借金をしたお金は順調に減り、預金残高が7桁から6桁に変わった時、僕の高性能頭脳がゲームオーバーの時期を正確に叩き出した。あと半年で資金が尽きる!! 娘の成長をカメラに収めるのに忙しく、まだ教わったことを何も実践していない。


どれだけ学んでも考えても実践が伴わなければ結果は出ない。一番大事な事を学べていなかった。


応援したくなる会社

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資金が尽きるまで半年。できることがどんどん増えていく娘を見ながら自問していた。 一体、僕はどれだけのチャレンジをしたんだろう。粘り強くできるようになるまでやったのか。


どうせ終わるならやることやってからにしよう。


僕が惹かれた素晴らしい会社は何か特別なことをしているわけではなかった。当たり前のことを毎日コツコツと積み重ねている。タイムリミットが来るまでその行動を真似して徹底的にやってみよう。出し惜しみをしている暇はない。


そんな意気込みで動き続けていると、少しづつ結果が出るようになっていく。1年以上、増えなかった顧客が毎月増えていった。


素晴らしい会社の真似をして、みんなが喜ぶ行動をする。コツコツやれば次第に応援の輪が広がっていく。それを体感できた。


事業は軌道に乗り、自宅を出て京都の街中にオフィスを移転。社員も増えていった。


事業が大きくなるにつれて、残業も当たり前のように増え続けていく。年間500時間を超える社員もいた。仕事が増えるスピードと人の成長スピードが合っていない。どうみても楽しそうに仕事をしているようには見えなかった。


僕も同様。長男が生まれたのに、長女の時のように成長を一緒に楽しむことはできなかった。このままの延長線上にいったい誰の幸せがあるんだろう?


起業して4年目。事業の拡大をストップすることを決めた。


止めた先にあったもの

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事業の拡大を止め、残業を禁止することを宣言した。残業したくないと言っていた社員のみんなだったが、残業を禁止した時の反発はすごかった。したくないけどできるわけがない。あの手この手で残業しようとした(笑)ただ僕は一度決めた事はなかなかやめない。


辞めないどころか次から次へと時間への意識や人間力を高める取り組みを開始した。


毎日その日の振り返りをして日誌を書くこと、毎週1冊本を読んで読書感想文を書くこと、毎朝1時間朝礼をすること。定時に帰ること。年に1度来年の生き方を発表すること。社員全員で素晴らしい会社の見学にも行った。

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仕事量は変わらないのに次から次へと仕事以外の事が増えていく。なのに残業はしてはいけない。この状況はブラック企業だという人もいるかもしれない。


素晴らしい会社を目指してやってきたはずなのに、事業が大きくなるにつれてそうでない光景が広がる。この状況を変えていくためには何かを変えないといけない。僕はそれだけを思っていた。


社員の成長が大事と言いながらも事業の拡大ばかりに意識がいっていた自分がいることにも気がついた。


社員のみんなから提出された日誌や読書感想文を読み、返事を書くことを日課にした。読んでいるうちに考えていることがわかったり、意識の変化に気づくようになった。


毎年200時間ずつ残業時間が減り、3年でほぼ残業はなくなった。残業が減るだけではなく、複業やテレワーク、子連れ出勤など自分が働きたいスタイルで働く人が増えた。


みんながやりたい事を実現していくのが見れるのは嬉しいことだった。時間が空いてきたのだから、また事業を拡大することも頭をよぎったが何か違和感があったのでしなかった。


僕は空いた時間でいろんな人に逢い、世界を周るようになった。


世界は広い

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北海道にある日新堂印刷という会社はバナナペーパーというバナナの茎でできる紙を作っている。起業して日本全国を周っていたときに出逢った素晴らしい会社。


アフリカのザンビアという国で絶対的貧困の村に暮らす人々を雇用し、バナナの茎を繊維にして送り、日本の技術で紙にする。そうしてできたのがバナナペーパーだ。現地では初めて仕事をして、その子どもたちが学校に行けるようになった人が大勢いる。バナナは1年ですごく大きくなるので環境破壊にもならない。善の循環を生み出す事業の現場を一度見に行ってみたかった。


世の中にクラウドファンディングが流行りはじめて、一度やってみたかった僕はバナナペーパーの応援をするクラウドファンディングをやってみることにした。(素敵な会社を広めよう~バナナペーパーで世の中を変える~)友人たちとこのプロジェクトを進めていく過程で、現地を見に行くことになった。


アフリカ大陸は2回目。新婚旅行でエジプト観光に来て以来だ。飛行機を乗り継ぎ、1日かけてバナナペーパーをつくる村にたどり着いた。


現地では野生の動物たちがお出迎えをしてくれた。

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もちろんテレビでは知っているが、実際に同じ地球上にこんな場所があることに驚いた。


翌日、バナナペーパーをつくる村も訪れた。水道も電気もガスもない絶対的貧困といわれる場所で暮らす人々。

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オーガニックバナナはめちゃ美味しかった!

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子どもたちは布をぐるぐる巻きにしたサッカーボールを蹴って楽しそうに遊んでいる。村を訪れた僕を客人として迎え入れてくれ、木の実をプレゼントしてくれた。


アフリカの人たちを応援しにいく気持ちを持っていた僕は、逆にたくさんのことを教えてもらった。


「なんのために働くのか?」

「その仕事は地球全体にいい循環を生むのか?」

「日本で何をすべきなのか?」


ザンビアにいる間、ずっとこの問いが頭の中をまわっていたが答えは出なかった。その後もいろんな国を訪れたが何か明確な答えは出ていない。


でも一つだけわかったことがある。答えが出ないことと動かないことはイコールではないことだ。アフリカ奥地の電気も水道もガスもない場所でも素晴らしい事業を立ち上げている人がいる。日本でできないわけがない。


言い訳は全部捨てて進もう。


気の向く方へ

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ザンビアの旅を経て、これからはいい地球に繋がることにエネルギーを注ぐことを決めた。ただ何から始めていいかがさっぱりわからない。


日本に帰ってきて半年ほど悶々と考えた。


考えた結果、答えは出ないことがわかった。正確にいうと答えが出ないことはわかっていたけど、考えていると頑張ってる感が出る。それで自分を慰めていたんだと思う。


そんな時に社員の1人と面談をしていて、将来は子どもを連れて働きたいという想いを聞いた。「子どもと一緒に働きたいならもうちょっと広い場所がいるね」そんな話をしていたらビルの最上階をワンフロアー使わない?と誘われた。


広い場所があれば、子どもと一緒に働くのはもちろん他にも色んな事ができるかもしれない。当時のオフィスの4倍以上の広さだったが、僕は新しい挑戦を始めることにした。


何かを考えていると頑張ってる感じは出るが同じところで堂々巡りをしていて何も変わらないことが僕にはよくある。そんな時は気の向く方にとりあえず進んでみるのが僕のスタイル。さあこれからどんな展開が待っているのかワクワクする日が始まった。


ちなみに子連れで働きたいといった女性はこの時彼氏すらいなかったが、1年後に新しい場所ができたと同時に結婚して寿退社するという鉄板ネタをつくってくれた(笑)


本当の『決める』

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新しい場をつくることを決めた僕は準備室を立ち上げた。数ヵ月に渡っていろんな人と対話をしてやりたい事を集めた。出てくるアイデアは面白いものがたくさんあり、新しい価値が生まれるようにするにはできるだけルールを作らない方がいいような気がした。


日本社会は便利や効率を求めて細分化されてきた。上手くいってる時はいいが、一度レールを外れるととたんに孤立し社会課題が生まれる。様々な社会課題があるけど本質的な原因は社会の分断にあると感じていた僕は、みんなでつくる空間の壁を全部取っ払うことにした。


壁もなくみんなで混じり合って新しい価値を創っていく。場はつくるけど今の時点で何をやるかは決めない。


みんなでワイワイ未来を語っていると、子連れで働きたいと妊娠9か月で入社する人も現れた。動くといろんな結果に繋がる。まだ場も出来ていないのに子連れで働く人が決まった。


アイデアを膨らませるのは面白いが、現実的な事も同時に進めていかないと物事は実現しない。レイアウト、工事のスケジュール、不動産の契約など決める事は多々あるが一番困難だったのが資金調達。


1,500万近い設備投資をするのに具体的な収益プランなどを大して詰めずに交渉していたのだから当たり前といえば当たり前。応援することを決めてくれた京都信用金庫と日本政策金融公庫には感謝しかない。


これから始まるであろう事を妄想するとワクワクするけど、具体的な日程が近づくに連れて息苦しさを感じるようになった。また大きな借金を背負うことになるし、返していくプランもきっちり決めていない。


今ならまだ引き返せるかなと毎日考えるようになった。この頃の頭を割ったらワクワク1割、不安9割くらいだろうか。工事はもう始まるし、1桁違う家賃の支払いも始まる。既に色んな人に関わってもらっているし、今さら逃げることもできない。


覚悟を決めて契約書にサインをした。サインをするとこれまでの不安はどこかに行き、なぜかすごくスッキリした気持ちになった。


まだ何も始まっていないけど本当の意味で進むことを決めた気がした。


『学ぶ』×『暮らす』×『働く』

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資金調達も無事に完了し、いよいよ新しい場が始まる。場の名前は『学び場とびら』

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みんなで新しい価値を創っていきたかったので、初めからみんなでつくることにした。椅子づくり、壁塗り、床貼り。子どもから大人まで集まってつくりあげ、2018年4月に無事スタートした。


何かルールを作るとそのルールに沿った人しか集まらなくなる。これから面白い価値を創っていくにはできるだけルールをなくして多様な人が集まり自由に使ってもらうことが大事だと感じていた。自由にすると収拾がつかなくなる可能性もあるが、ルールはいつでもつくれる。


まずはこちらからまだ見ぬ人を信じてスタートしようと思った。


大したセキュリティもなく、管理人も常時いるわけでもない。サービスを提供する側と受ける側。教える側と教わる側。そういった区分をできるだけなくした先にどんな風景が広がるんだろうか。


人の噂や関係者のSNSを見たりで段々と人が集まってきた。ルールがないため、初めの頃はどう使ったらいいですか?とかこれはありですか?とか質問だらけ。その時の答えは決まっていて「やってみたらいいんじゃないですかね」


その答えに戸惑う人も多かった。日本では決まった答えのある教育がされてきた。自分で考えて行動する経験を得にくい環境で育ってきたのだから仕方がない。


でも毎年のように起きる異常気象、日本は人口が減って少子高齢化が進んでいる。地球も日本も経験したことのない、誰も答えを持っていない時代に必要なのは自ら考えて生き抜く力や仲間と一緒につくる力だと思う。


学び場とびらは色んな人が集まって関わり合い、学び合う場にしたかったので答えは用意されていない。段々とみんな慣れてきていろんな使い方が生まれてくるようになった。


起業家がとびらを拠点にして事業を始める、近くに会社があるのにとびらで仕事をしている、育休中のママさんが赤ん坊を遊ばせながら勉強している、寝てる、お昼を食べている、子連れで働いている、会社を飛び出してとびらで経営会議をしている、畑に出社して農家さんの手伝いをする、就活に悩んだ学生がいろんな大人と出逢いに来る、仕事の応援をし合う、野菜の販売が始まるetc

学ぶと暮らすと働くが混じり合い、人の可能性が開いていくのを見るのはすごく楽しい。


≪学び場とびらが大事にしている3つのコンセプト≫

〇本物に出逢う

〇生き方、働き方について考えてみる

〇自ら、仲間と一緒にやってみる


でこぼこ

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生きていればどこかしらのコミュニティに属して人と関わり合う。僕で言えば、仕事でご一緒する人が圧倒的に多かったので経営者や事業主が中心だった。


それが悪いわけではないが、似た者同士が集まると凸凹が活かしにくいし、想定外の視点は得にくくなる。学生、起業家、育休中のママさん、学校の先生、行政の職員、大企業の会社員、多様な人たちととびらで繋がり、コーヒーを飲みながら雑談をする。


関係性ができてくると経験、スキルだけでなく、ある人にとっては課題と感じる事さえも活かせるシーンが生まれてくるようになった。


例えば、ちょっと子どもと離れて話をしたいママさんと仕事の息抜きに子どもと遊んでリラックスする会社員。関係性が出来てくると「子ども見ときます~」みたいなやり取りが起こりだす。社会ってこういう風に色んな人が協力してできてたんだろうと思う。


効率を求めて分断され、タスクで埋め尽くされる。忙しく孤立しやすい現代社会の中で、多様な人が集まり、ほっと一息ついて新しい価値を創っていく。2年間やってみて学び場とびらの役割がだんだんと見えてきた。


ごちゃ混ぜ

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学び場とびらに集まってくる多様な人たちとコーヒーを飲みながら雑談をする。バラバラな人たちと関係性ができると面白いことが起こると分かってきた。


仲良くなって一緒に遊ぶようになったり、一緒に新しいビジネスをつくり始めたり。子育て、新規事業開発、学び、営業、採用、農業、地域づくり。いろんな要素がごちゃ混ぜになって同時に行われる。


いかに生産性を上げるか。仕事まっしぐらになっていた頃には想像もできなかった光景が広がっている。


多様な人たちとゆるく繋がって学び合い、気づいたら面白いことが起こる場づくり。これが今僕が取り組んでいることだ。


やりたい人が集まって管理人のいない図書館をつくる。
過疎地域の農家さんと一緒に地域循環のモデル地域をつくる。
子どもたちも一緒に遊びながら小さな商いをたくさんつくる。


今取り組んでいるごちゃ混ぜの先に何が待っているのかワクワクしている。まだ想像もできないこともこれから起こるんだろうな。


こんな活動が広がっていったらいいなと思いつつ、効率を求めてスピードアップしたり、マニュアル化するのはなにか違う感じがするので気の赴くままコーヒー飲みながらのんびりと。


自分や周りの人、未来の子どもたち、地球の裏側の動植物もみんなが喜ぶライフスタイルを探し続けたい。


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