コンプレックスは漢字練習帳みたく
また、コンプレックスが増えちゃったな。
せっかく、自己嫌悪が消えてきたと思っていたところだったのに。
私は、人と対面で会話するのが、本当に苦手だ。
お話をするのが嫌いなんじゃない、うまく言葉が出なくなる自分が嫌い。
誤解をおそれずいうならば、精神的吃音のようなもので、文章ではサラサラと出てくる言葉が、会話になった瞬間、出てこなくなる。
特に、会話の始めの方は顕著に現れる。
あのね、の先がなかなか出てこなくなっちゃうのだ。言いたいことはたくさんあるのに。
だから、人と話すときは聞き手側にまわっていることが多い。そうすると自分はどんどん喋るのが下手になっていく。負の連鎖だ。
きっと、会話のエンジンがあるとすれば、人よりもエンジン全開になるまでが遅いのだと思う。
のろのろの初速度だから、ほとんどの人は私がお喋りが嫌いだと思っている。
本当に一握りの人だけが、実はお喋りで、面白いことを知っている(これは、自己評価じゃなくて、実際に言われたこと)。
一握りの人はわたしの話を落ち着いて聞いてくれる人で、否定をすぐにはしない、人として出来すぎている人たち。
だからといって、そんなことを全員に求めるわけには行かないし、私自身が言葉に詰まるということに悩んでいるから、何の解決にもならない。
コンプレックスは漢字練習帳みたく
こういう、コンプレックスは漢字練習帳みたいだな、と思う。
漢字をひたすらに書いて、下手だな、と思ってそれでも書き続ける。
なんとなくコツが掴めてきて、一マス前の字も書き直すと、全部の字が汚く思えてくる、あの現象。
コンプレックスもだんだん受け入れたり、隠せるようになって、よかったと思っていたら、また違うコンプレックスを見つけてしまう。
確かに、それは人の個性なのかもしれない。
だけれど、コンプレックスはコンプレックスでしかなくて、自分の個性だとかアイデンティティのようにしたくない。
だから、苦しんじゃうのだ。
受け入れることは、難しいことで、受け入れることで気持ちは楽になるのに、抗おうとするのは、何より自分のためなんだと思う。
こんなコンプレックスも、いつかこの記事を読み返すとき、薄まっていますように。
そうやって、これからもやさしく赤ペンで花丸をつけようと、自己を磨き続けていく。
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