ゆめとのぞみ
私の日記のまとめ
感想を語る、その前に 小川洋子の作品を、一番最初に読んだのは、中学校の頃だったと思う。 教科書に載っていた『最果てアーケード』の「百科事典少女」は今でも忘れられない、心に残る作品の一つだ。 教科書には一部しか載っていなかったために、その後、市立の図書館で借りて読んだ。 その時感じたのは、仄暗い空気だとか、死の匂いだとか、登場する物の繊細さだった。 それから、小川洋子は好きな作家の一人になった。 沈黙博物館の感想 沈黙と喋り語ること、生きていることと死んでしまうこ
わたしは、自分の芯、は持っているのだけれど、意思は弱い。 どうしても、続ける、ということができないのだ。 日記も、運動の習慣も、ダイエットも、外国語の勉強も、最近始めた編みものも、今年のはじめくらいから頑張って続けていたnoteだって、いつのまにかわたしの日常から立ち去ってしまう。 いや、そもそも「わたしの日常」って何だろうか。朝起きる時間だって、早起きの日と3度寝くらいする日では比べ物にならないくらい違うし、自炊できる日もあれば、1日ほとんどナッツしか食べてないような、偏
ご無沙汰しております。 今回は3月に読んだ本の共有をさせていただきます。 では、どうぞ。 若島正『ロリータ、ロリータ、ロリータ』 ナボコフの『ロリータ』の表現、描写を論じている一冊。 『ロリータ』を読もうと思って、借りた本です。 何となくネタバレされたくなかったので流し読みでしか読んでいないのですが、文章表現の精緻さ、レトリックを学ぶことが出来ました。 『ロリータ』を読んでから、もう一度読み直したいです。 河野多惠子『小説の秘密をめぐる十二章』 河野多惠子さんは『一年
2024年3月16日 大好きな本屋さんで「短編小説を書いてみる会」が開かれた。 私を含め、小説を書くことに不慣れな方が多く集まった。 進行は店主であるKさん。 なんだか授業みたいな緊張感のある空気で、18時に開始された。 まずは自己紹介。 「えーっと」を多用する私。人と話すことへの不慣れさがすごい。 きょどきょどしちゃって、あとで少し反省した。(一人反省会をいつもしてしまうのだ) プロットとは何か? ということについて、すこし学んだあと、2000字くらいの小説を4本ほど読
鼠と改竄 というお話を書きました。 ぜひ。
少女は、人差し指にたれてしまったシラップを、みずみずしい木苺色の舌で舐めとった。 その艶かしい姿にボクは、頬が火照っていくのを感じる。 「良いにおいでしょう?」 少女が上目遣いでボクを覗きこむ。 少女の問いかけによって、かすかに漂うジンジャアの香りにボクはやっと気づいた。そして次の瞬間、少女はボクの脣に人差し指を押し付けた。シナモン、蜂蜜、黒胡椒、クロオブが混ざり合い、いま盛り期である花のごとく、甘く、たおやかで、切ない香りがボクの肺を埋め尽くしていったのだった。
また春が来ることで、 何かを決定しなければならない、環境の変化に慣れなければならない、と定まることのない不安を抱える。 春は好きなはずなのに苦しくなる、どこか恋煩いめいたものがある。
続けていることを、やめるということは、少し勇気がいることだ。 何かを失ってしまいそうで。 私もnoteの更新を明日から毎日にしなくなる。勇気がいった。だけど、やめることも新しい挑戦。 そう思ってみることにする。 最近、安部公房『壁』を読んだ。良かったので共有しておこうと思う。
許せないことはいつか許せるかもしれないけど、許されないことは許せないまま、やるせないまま 許せないことというのは、自分が厳しくして、頑張っていることだから。 それだけ、自分が頑張っているから。 そういう言葉を、信頼できる人から聞いて、なるほどな、なんて思った。 それと同時に、「許されない」ことと、「許せない」こと、というのは、似て非なるものだと思った。 ーー客観的、主観的であることの違いだ。 この二つを、混同して時にトラブルが起こっている。 もう、許してもいいんじ
また、コンプレックスが増えちゃったな。 せっかく、自己嫌悪が消えてきたと思っていたところだったのに。 私は、人と対面で会話するのが、本当に苦手だ。 お話をするのが嫌いなんじゃない、うまく言葉が出なくなる自分が嫌い。 誤解をおそれずいうならば、精神的吃音のようなもので、文章ではサラサラと出てくる言葉が、会話になった瞬間、出てこなくなる。 特に、会話の始めの方は顕著に現れる。 あのね、の先がなかなか出てこなくなっちゃうのだ。言いたいことはたくさんあるのに。 だから、人
やさしさに直に触れることは、ハリネズミに触れるのに似ている。 ちくちくとしたハリを、おそるおそる指のはらで確認する。 暖かさに触れたくなって、掌にのせる。
ゴカム観てきた。 実写化作品って正直好きではなかったんだけど、映画の良さがきちんとあって、冒頭シーンだけで自然と涙が流れた。 マンガ、アニメ、映画、それぞれの良さがあって、映画で新規絵を大量投下された気分でした。 ありがとう…ありがとう……
『甘い蜜の部屋』という、森茉莉の小説を読んだことはあるだろうか。 近代文学で卒論を書くと決めている私は、本を100冊以上は読み、それでも決めあぐねていた。 一縷の望みをもって、図書館で惹かれたタイトルの本に手を伸ばす。 『甘い蜜の部屋』 無性に、心がくすぐられる感覚。 心が、ソーダ水の中に入っているみたいな、ぱちぱちとした、心地よい刺激。 開いた小説世界の一行目は、 なんだか、引き込まれていく。 やさしく、おだやかな手に。 私を、世界に引っ張り込んでいく。 もう
じかんが おかねが エネルギーが どろりどろりと 溶けてゆく こうふんが かんどうが くのうが どろりどろりと 溶けてゆく こいごころが じょうねつが しっとしんが どろりどろりと 溶けてゆく いとおしさと さびしさと あんしんかんを こさじ一ぱい さらさら溶かして
いつも練習帳を見せる気持ちで言葉をつむぎ、届けようとしている。 かの大先生、谷崎潤一郎が24歳くらいになってやっと作家の道のスタートラインに立てる、みたいな話を何処かでされていて、簡単に夢をあきらめちゃいかんな、と思う。 苦しみも、愉しみも抱えて頑張りたい。
わたしは、ずいぶん昔から頭痛もちで、最初に薬に頼ったのはいつか、思い出せない。 カロナール、バファリン、ルナ…… 色々な薬を、グラスの水とともに嚥下する。 そのたびに、わたしの体は薬に染められるようで、うっすら恐ろしくなる。 まるくて白い錠剤は痛みをおさえるだけで、根本的な解決はしてくれない。 天候(もっと言えば気圧)に、メンタルに左右されて痛みだす。 孫悟空の緊箍児が生まれた瞬間からはめられているみたいだ。 生まれた瞬間に、戴冠式のように、はめられたんだ。 今