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「読書会」とはなにか? なにがおもしろいのか?

なぜ「読書会」で出会えるのか?』では、「読書会」の構造から、人と出会える理由を考えた。読書会は、共通する趣味や関心を持ち、本を読んでくるという障壁を超えた人が、同じ目線で話ができる場だ。だから、参加者同士の共感が生まれやすい。話も盛り上がりやすい。設計しなくても、ある程度、「本」という間に入る存在によって、安全と安心が担保され、人と人がつながりやすい構造になっているのだ。

今回は、本を読んできて感想や疑問を話し合う「読書会」がどうして、おもしろいのか、どうやったらおもしろいのか、について考えたい。

① 日常を離れて、いつもと違う話をする
読書会では、日常からすこし離れ、本を通して、”いつも”と違う話をすることができる。何を感じたのか、考えたのか、自分自身のこと、過去の経験、これからのこと、「好き」や「興味」のことなど、あらたまって友達や会社の同僚と語らないような自分自身の話をする。

会社の同僚に、急に「ぼくはこれが大好きで~」って話しても、「はあ、そうなんですね」と苦笑いされる光景が目に浮かぶ。感動が伝わりにくいし、共有できない。それに、生き方や働き方について自分がどう考えているか、なんてほとんど話したことがない。

読書会では、本を読むことで、共通体験をつくり、共通の文脈をつくることができる。言葉を共有できる。だから、ほとんど初めての人とでも、わたし自身の話ができるようになる。感動を共有できる。
わたし自身の感覚を、共有できる場なのだ。

② 違いがわかり、楽しむことができる。
読書会は、自分と人との違いを楽しむことができる。本という体験や文脈を共有しているから、異なるバックグラウンドの人の話も共感でき、”違い”を受け入れやすい。

③ 「わかる」の第一歩になる。わかる体験がある。
ぼく自身、一読して「わかった」ように感じることが多い。だけど、ビジネス書を読んでも実行に移すことができない。友人に紹介しようとして、あれ、どんな内容だっけと思うこともある。「わかっていない」のだ。

「わかる」とはどういうことか』で、筆者は、「わかる」とは行為に移すことができる状態であると言っている。行為とは、言葉にすること、動作にすることすべて行為だ。
教える側になると理解が深まるという話があるが、それと同じで、行為に移そうとしたとき、どこまでわかっていて、どこまでわかっていないのかが、わかるのだ。

読書会は、本を通して話をする場だ。感想を言うという、自分の言葉で表現するという行為そのものが「わかる」の第一歩となる。感じたこと、思ったこと、こう読んだという考察も、まずは自分自身の言葉として発すること、それそのものに意味がある。
発する行為を経て、「わかる」がより感覚として深まる。「わからない」がわかる。この「わかる」感覚が、自身の成長の実感や達成感となり、おもしろいという感覚につながるのではないか。

そして、ほかの参加者の感想を聞き、自分とは異なる視点からの言葉によって、あたらしいわかり方をする。その本のあたらしい意味や価値を発見することができる。


読書会の形式はたくさんあるみたいだけど、「読書会」ってなんだといわれると、

日常よりも少しだけ高いプラットフォーム(一段高い土台や足場)で、人と出会い、話をして、自分と本を再発見する場

なのかなと思う。

いくつか参加したり、つくってみたりした中で感じたことをまとめてみた。またより整理できたらまとめてみたいと思う。

あ、写真はこの前参加した読書会の課題図書『世界一やさしい右脳型問題解決の授業』です。




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