【Vol.4】エンパワー④:等身大のロールモデルになろう
Vol.4のテーマは「エンパワー」でしたね。
エンパワーを直訳すると「(力や権限を)与えること」ですが、何もすごい権威や役職を提供するような、大げさなことじゃなくっていいんです。
私達一人一人の女性ができること。それは、未来のグローバル女子(グロ女)を支援するお手本となることです。いわゆる、ロールモデルってやつですね。
ものすごい実績や職歴を達成してきたよ、とかじゃなくていいんです。むしろ、あなたらしさをそのまま出した、手に届く等身大のロールモデルになる方がパワーを発揮するのです。
改めて自己紹介
既に自己紹介のページで書いたのですが、まだ読まれていない方もいらっしゃるかと思うので、もう一度こちらに載せますね。もう既に読んだよと言う方は、このままスクロールして「Vulnerability (バルネラビリティー)の力」まで下りちゃって下さい。
さて。以下を読んでみて、どうでしょう。
日本屈指の私立女子大、津田塾大学の国際関係学科卒業
大学卒業後に渡米。ビジネスの学びを深めるためルイジアナ大学にてMBA修了
現地の日系企業で日本人女性初のサプライチェーン・ディレクターとしてキャリア構築
本業の傍ら、テキサス大学ダラス校で教鞭を取る
女性のキャリア構築支援のためNPO法人JCWを設立し、創設者件代表取締役として活躍
夫と二人でアメリカ生活を満喫し、夫婦で旅行など楽しみながら充実した日々を過ごす
どうでしょう。「うわー、なんか、絵にかいたようなバリキャリそう」とか、「海外でのキャリアライフを満喫して、さぞかし楽しいんでしょうね」とか言った印象をうけるかもしれません。
では、以下はどうでしょうか?
現役時代に大学受験に失敗。1浪した末にようやく津田塾大学に入学。
大学院留学を希望して多数の大学に申し込んだものの、ことごとく不合格。唯一合格したのが、アメリカ3大貧乏州のルイジアナ州にある、ルイジアナ大学。何とか滑り込んで入学。
卒業後は現地の日系企業に就職。最初の2年は正社員として雇ってもらえず、契約社員として地味に仕事をこなす。
テキサス大学ダラス校での役職は客員教授。なので、いつ切られてもおかしくない。
NPO法人JCWが成功したのは、共に立ち上げたスタッフの努力のおかげ。
結婚後何年も妊活するも子宝に恵まれず、最終的に夫と二人で人生を過ごそうと決意。
どうでしょう。なんとなく、急に親近感がわいてきませんか?
実はこのプロフィール、両方とも私なのです。
Vulnerability(バルネラビリティー)の力
「私ってすごいでしょ」というサクセスストーリーばかりをアピールするよりも、等身大の自分、完璧ではない自分を見せる方が、実は何倍もロールモデルとしてのパワーを発揮します。
これを英語では、Vulnerability(バルネラビリティー)と言います。
直訳すると、「弱み」とか「傷つきやすいこと」。
一見ロールモデルとは真逆に見えますが、肩肘を張った完璧なスーパーウーマンの姿を見せるよりも、親近感があって手に届く姿を見せる方が、ロールモデルとしての影響力があるのです。
むしろ非の打ち所がない姿ばかりを見せると、「とてもじゃないけど私はそこまで達成できない」と思わせてしまい、グローバル女子(グロ女)どころかドメスティック女子(ドメ女)を増やしてしまうことになりかねません。
弱さを見せる強さ
「完璧じゃない自分を見せましょう」
「弱いところもさらけ出しましょう」
って、言うは易く行うは難し、ですよね。
だって、完璧じゃないところを見せるって、自分の非を認めるようなもの。弱いところをさらけ出すって、あまり触れたくないところをつついていくようなものですから。
私にとっての弱いところ、完璧じゃないところは、不妊治療でした。
人生山あり谷ありでしたが、今までは「とりあえず自分が頑張れば結果が出せる」という困難ばかりを乗り越えてきました。受験勉強然り、留学準備然り、資格取得然り。たとえ不合格となっても、それは自分の頑張りが足りなかったから、という明確な理由があったので、納得して次のステップに進むことができました。
でも、不妊治療だけはそうじゃない!
私が結婚したのは27歳。当時はアメリカの会社で仕事を始めたばかりで、学ばなければいけないことがたくさんあり、大忙しの毎日でした。「まだ若いし、30歳くらいまでは仕事に没頭しようかな」ということで、当時はとにかく仕事を優先していました。
そして30歳になった頃に、管理職へと昇進。新たな責任と業務が増え、部下の数も増えていきました。とてもじゃないけど、今は子育てとか考えられない。32歳くらいまではいいかなと、妊活解禁のタイミングを延長。またまた仕事に励む日々が続きました。
そして32歳になった頃、「年齢的なこともあるし、いい加減、子供のこととか考えないと」と思い、やっと重い腰を上げて妊活を開始。すぐにできるのかなと思いきや、1年、2年経っても全く音沙汰なし。
「あれ、私って不妊なの?」
そこからです。
トンネルの先が見えない不妊治療を続ける日々が何年も続きました。
タイミング療法に始まり、体外受精、顕微授精など、着々とステップアップ。それと共に、治療費も上がってきます。アメリカでは、不妊治療代は基本的に保険適用外(会社や保険プランにもよるのかな?私の場合は完全自己負担)だったので、治療をするたびに、目が飛び出るほどのお金が飛んでいきました。
今振り返って考えると、ベンツが3台くらい買えるかも。
この世に存在するであろう、全ての医療テクノロジーを駆使した不妊治療方法を、夫婦で何年も何年も試みましたが、結果は出ませんでした。
その間にも、同僚や友人は着々と結婚・妊娠・出産。私よりも後に結婚した人が2人目の出産を控えているということで、その赤ちゃんのお祝いパーティー(Baby Showerですね)を主催する担当者になったこともあります。
悲しいけどしょうがない。その子は何も悪くないんだもん。
無理やり作った精一杯の笑顔で、そのBaby Showerをアレンジしました。
そして、今私にできること
あれから約10年。
今やっと、不妊治療について話せるようになった自分がいます。
もちろん今でも、当時感じたつらくて悲しい思いは、胸に残っています。
でも、この経験を皆さんにシェアすることで、少しでも等身大の私を知ってくれたら、そして「一見、成功ばかりしているように見えるこの人でも、こんなつらい経験をしたんだ。私も負けずに頑張ろう!」と思ってくれたら、それが何よりのご褒美だと思います。
完璧じゃなくっていいんです。
あなたのままでいい。
そんな等身大のあなたこそが、次のグローバル女子を支援する、ステキなロールモデルですよ。
そしてそして、今不妊治療を絶賛進行中という方がいれば、この記事を読んで下さった全ての皆さまに、幸ある結果が訪れますように。
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