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自由に向けて、種を蒔く


自由とはなんだろう。
ありきたりなことを、ぼんやりと考える。

どうなったら、私たちは自由を手に入れることができるのだろう。
どうなったら、「私は自由だ」と認められるのだろう。

例えば会社を辞めて、フリーになったとしたら、辞めた瞬間は自由を体感できるのかもしれない。

けれど、やっぱり生きていかないといけないし、生きていくにはお金がかかる。

税金に、保険に、生活費に。
最低限生活していくために必要な費用を眺めていると、「ただ生きているだけで、こんなにもお金がかかるのか」と、急に不自由さを感じ始める。

本当は、どこかに属しているほうが楽なのではないか。

何が自由で、何が不自由なのか。
だんだんとわからなくなっていく。

本当の自由な感覚って、なんなのだろう?

自由と責任

旅をしたり、山を歩きにいったりすると、
会社員以外の生き方をしている人たちに
たくさん出会う。

ちょうど山で出会った同い年の子と、話しをしていた。

30歳、また20代後半の時期は、社会人として何年か過ごしてきて、働き方や生き方を見直す人が多い。

私もその1人だし、多分同い年の子もその1人なのだろう。会社員として働いていたけれど今は脱サラして、住み込みバイトで働いているそうだ。


「しばらく住み込みで働いてみて、どう?」
その人に聞いてみた。

「うーん、そうだな。会社員とバイトの違いって、責任があるかどうかかなと思ってる。バイトだと、その『責任がない』っていう、気楽さはめちゃくちゃあるな。」

「うん、そうだよね。それはめっちゃ思う。」

「ね〜。定年して軽井沢の別荘地に住むって人もいるけれど、それまでに自由はなかったのかな?って思って。定年すると、いつまでも会社と縁がある人ってほとんどいない気がする。退職して、会社と全く関係ない生活をしている姿を見ると、本当はそれだけ自由になりたかったのかな〜って思うんだよね。」

「あ〜、確かにそうだよね。」

「うん。年を取ってからじゃなくて、体力があるうちに、いろいろやりたい。」

「私もそうだな〜。今やりたい。今を大事にしたい。」


そう、「今」を私は大事にしたい。


決して、会社員として働く生き方を否定しているわけではなくて。
本当に求めていることと、実際の行動が多少ずれるだけで、歯車はどんどん狂っていく。
だから、今やりたいことと、行動をいつも一致させる生き方をしたいのだ。

歯車がずれて、自分の心を無視しながらがむしゃらに動く。
辛い。しんどい。もう休みたい。そういった痛みはもう、7年社会人をしてきて、十分なくらいに体感した。

会社員とバイト。
この差のひとつは、責任の違いなのだろう。
バイトは、会社員のように保証はないし、守られてもいない。

もちろん、バイトであっても、社会人としてのある程度の責任感は伴う。けれど、会社員ほど「会社の看板を背負っている」という重圧は、ほとんどないと思う。


じゃあ責任が生まれると、
途端に自由ではなくなるのだろうか。

よく考えてみたら、責任にもいろいろな種類があるように思う。

自由な働き方には、『自己責任』が伴うし、
会社員として働けば、会社での責任を伴う。
チームで動くならば、チームメンバーとして、チームに貢献する責任があるだろう。

人と共に生きていくならば、
責任はつきもの。

だから私たちは、
責任からは永遠に逃れられないのかもしれない。


「責任感が強いのね。」
体調を崩して休職していた時のこと。前の職場の上司が電話越しに、私に言った。

そうなんだ。私は責任感が強いんだ。
その時客観的に言われて初めて認識した。

若手訪問看護師として働いていたけれど、
病院で働いているときのように
オンオフの切り替えができなかった。

病院で働いていたら、病院の中には必ず誰かがいる。だから私がいない時に、もし担当の患者さんに何かがあったとしても、誰かがケアしてくれているし、助けてくれている。

病院で働くことは、重い責任はあるけれど、ある意味分担できるし、ずっと緊張している必要はない。その面では安心しながら働ける環境だった。

それが訪問看護となると、患者さんのそばには、家族か、ヘルパーさんがいることがほとんど。もしくは独居の人もいる。


看護師の判断はとても頼りにされる反面、当の看護師の緊張感はなかなかのものだ。

経験が浅いとなおさら。

在宅医療は、確かにやり甲斐がある。
けれど、それには重い責任も隣り合わせだった。その、緊張の抜き方が、私には掴みきれなかったのだと思う。


調子を崩し始めた時、
無になれる時間がほとんどなかった。

「何もしない。」ということが、できなかったし、いつも「時間を有効活用しなければ。」と、生産性を求めていた。
いつも何かに追われていた。
明らかに、刺激過多だったと思う。

だから、朝に瞑想時間を取り入れてみた。


瞑想の時間が、どれだけ私をホッとさせてくれたことか。それと同時に、「また緊張してたんだな」と、自分自身の心の状態を知る時間にもなっていた。その時は既に黄色信号が出ていたのだけれど。

そしていよいよ調子が悪くなると、瞑想するどころでもなくなった-。


今は、訪問看護を卒業して
コーチングをしたり、講師活動をしたり、本を書いたりしている。
でもそこにも「言葉を届ける」という責任は伴うのだ。

自由と責任。
陰と陽のような相反する言葉のようにも思えるけれど、自由であるためには、責任感のような心の芯、軸が必要だとも感じる。

自由があり過ぎても退屈になるし、
責任が重すぎても心と体が乖離していく。

だから、「自分にとっての自由の塩梅」は、
それぞれの生き方の軸が要になるだろうし、
軸をもっているほうが、
生き方としては心地よいのではないだろうか。


自由と意識


働き方の自由。
経済的な自由。
心の自由。

自由についていろいろな定義があって、自由について話をするとき、その人それぞれの哲学が垣間見える。

『好きなことをして生きていこう。』

それは正解でもあるだろうし、それだけでは説明不足な気が、私はする。
好きなことをするだけで、幸せになれるのだろうか。生き方として、満足なのたろうか。


いや、私の経験的には、
誰かのために役に立たないと、
結局は毎日に飽き足りなくなる。


例えば、新しい職場で働き始めた頃を想像してみてほしい。

右も左も分からなくて、役割がほとんどない。そんな状態ならば、できる仕事も限られる。ちょっと邪険に扱われることも、あるかもしれない。働いている自分自身も、物足りなさを感じるかもしれない。

けれど、その職場に慣れてきて、役割が少しずつ分け与えられるようになってきた頃になると、少し前よりも生き生きとしてはいないだろうか。働いていて楽しいと感じることが多いかもしれない。

『仕事を始めて2〜3年目が一番楽しい。』
そんな言葉も耳にするし、体感した人もいるのではないだろうか。

役割があるし、責任はまだそれほど重くはなくて、自由さもある。

だから、『誰かのために役に立つこと』があるほうが、自分の生き方が輝くのだと私は思う。

好きなことで自由に生きて、役割も全うする。
どちらかに溺れることなく、いい塩梅を見つけるためには、『自由』をもっともっと見つめていきたい。

なぜなら、それぞれに想う自由があるからだ。
「自由」という言葉から連想するイメージは、みんな違うからだ。

あなたは、どんな自由がしっくりくるだろう?

それを知るためには、
体験して、体感して、
トライアンドエラーを積み重ねていくしかない。

チャレンジすることを怖がらず、
自分の気持ちを見つめることを恐れずに、
体験して腹落ちさせるしかない。

だから、
いつも、「今を生きる」必要があるのだ。

いつも意識するのは、今、今、今

「いつか」じゃない。「今」だ。

「いつか〇〇しようと思っている‥」は、
大きなキッカケがない限り、永遠にくることはない。ただ口を開けて待っていても、チャンスは通り過ぎていくだけだ。

今に意識を向けることが、
『自由への種蒔き』になるのではないだろうか。


『何を大切に生きていきたいのか。』と、問われることも多くあるだろうけれど、
それも「今」に意識を向けないと結局は明らかにはならないと思う。

私は毎日、「自分の人生が大好きだった」と言える生き方だったか、自分の心と対話をしている。これは今も大切にしている価値観。

けれど、「今日も大好きだった」と毎日言っていたら、全力で生きてはいるのだけれど、心のどこかで現状に満足してしまって、明日への希望が生まれなくなってしまったことがあった。


だから、喜びの源泉をもう一度見つめ直すことにした。

そうすると、山を登っているときのように、いつも自分の全身の細胞が喜ぶように生きていきたいと、思い直すことができたのだ。


生き方の軸は、いつもいつも、こうしてアップデートされていくのだなぁと思うし、生き方の軸を見直せば見直すほど、自由を感じられるような気がしている。

自由は何度も再定義していいような気がしている。

仕事、家族など、
役割を捨てたいと思うときは、
その役割が何かしら自分のポリシー、生き様に反していることまで、過剰にやっているときだと思う。「やらされている」「やってあげている」と感じているときは、ちょっと危険だ。


私たちは意識をどこにどう置くかだけで、いくらでも自由になれるし、不自由にもなれる。

それも自分の意思で決められるし、それくらいの心の自由さは持ち合わせているのだ。


自由とは、
生き方そのものに直結する感覚なのだと思う。

そして「自由な意識をもつ」ということは、
奥深くて、味わい深くて、何度でも見つめ直すところ。

まだまだ探求しがいがありそうだ。


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