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「怒れない私」を脱却したい

昔から「怒れる人」になりたかった。そんな私は、いつも妄想の世界で怒る練習をしている。

怒れない私は、「怒る妄想」が大好き

定番は会社の妄想だ。ちょっとした注意をしたとき、突然後輩がブチ切れたとする。普段敬語の後輩の、突然の暴言。仕事をしていた社員も注目し、周りはシーンと静まり返る。引くに引けない後輩は、泣き出しそうな顔で怒っている。

理不尽に怒鳴られた先輩のわたしは、ここはキツく叱るのが普通かもしれない。でも私は違う。「ちょっとさ、下のカフェ行かない?おごるからさ」強引に後輩を連れ出し、颯爽とカフェへと歩く。怒られると思った後輩は拍子抜けした顔でついてきた。

カフェで後輩の話を聞くうちに、どうやら後輩は辛い悩みを抱えていたらしい。辛さが爆発してしまい、つい暴言を吐いてしまったという。反省しているのか、後輩は泣きながら話す。「さっきみたいに限界こないように、ちょっとずつ吐き出さなきゃだめだよ」と私は一言だけ叱って、おいしいケーキをおごって後輩の話を聞いてあげる(業務時間内だけど……)。。。。。もちろん、すべて妄想だ。

妄想の種類は他にもあり、いろいろな怒り方をしている。結婚式に不審者乱入バージョン、電車の中の迷惑行為バージョン、理不尽なクライアントバージョン、うざい上司バージョンなど……。

どのバージョンでも、わたしは悪人に向かってキレッキレの怒りをぶつける。周りからは羨望のまなざしを受け、最後は悪人すら包み込む優しさを披露する。本当に楽しい妄想だ。

実際は怒るどころか謝ってばかり…

でも現実は上手くいかない。実際に人を目の前にすると、私は全然怒れない。怒るどころか、へらへら笑ったり、自分は悪くなくてもこちらから謝ってしまうときも。妄想ならスカッとジャパン並みのブチ切れを披露しているのに、現実社会では「いえいえ、、とんでもないです。こちらこそすみません」と腰を低めてばかり。怒るのが決して正解ではないけど、今のヘラヘラじゃ「怒ると怖いかも」感が醸し出す怖さが出せない。かなしい、、

ただ冷静に考えると、そもそも怒るほどの場面ってめったにない。10代の時は「ムカつく~~」と思う先生や友人はいくらでもいた。でも社会人では、時々ムカッとくるメールが来るくらい。例え私に勇気があったとしても、妄想上のブチ切れを披露できる場は全然ない。

怒るには「経験」が必要?

「怒れる人」になるには、怒る場面に立ち会えるほどたくさんの経験が必要なんだと思う。実際会社の怒ると怖い部長は、新入社員時代から数々の修羅場を潜り抜けてきたらしい。たくさんの出来事を経験したからこそ、たくさんの怒りが生まれる。もちろんすべて怒らず、理不尽を許してきたなかで、それでもどうしても許せないものに怒ってきたのだろう。その経験の積み重ねが、「怒れる人」になっているのかもしれない。

現実世界では、私はまだまだ経験が足りない。たくさんの仕事をして、いろいろな会社で働き、多くの人と関わる中で、「本当に怒らなきゃいけないとき」に出会っていきたい。今は温存期間だ。いざというときに思いっきり怒れるように、これからも十分怒る妄想を重ねていきたい。

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