自分へのご褒美の「500円の壁問題」
自分へのご褒美に越えられない壁がある。金曜日の夜、ふと無性に自分へご褒美を買いたくなった。今週もたくさん働いて頑張った。目に見える成果は上げられていなくても、自分自身を褒めてあげたい。気づくとお菓子コーナーをうろついていて、今夜食べたいお菓子のためにさ迷い歩いていた。
東京駅のスイーツコーナーやケーキ店で、おいしそうな食べ物はたくさん見つけた。でもご褒美に1つも購入できなかった。いざ身の丈に合わないお菓子を買おうとすると、怖気づいてしまうのだ。結局地元の一般的なスーパーで、キリンレモンとグミだけ買って帰宅した。合計233円の、非常にリーズナブルなご褒美となった。
自分へのご褒美に批判的だった学生時代を経て
思い返せば、「自分へのご褒美」は甘えだと思っていた時代があった。だから若い女性がご褒美として自分に高級商品を買っているのを見て、「そんな大した頑張りでもないのに、なぜご褒美?恥ずかしくないの?」なんて本気で思っていた。当時、大学時代はお金がなくご褒美を買う余裕はなかった。そうした背景もあり、頑張っても「このレベルの頑張りは褒美を上げるほどじゃない」と自分にストイックに過ごしていた時期もあった。
いまでは、「自分へのご褒美」をあげる抵抗感はすっかりなくなってしまった。でも高価なものは変えなくて、200円は超えないチョコやグミ、クッキーなどを選ぶ。いくつか買っても500円は超えない。とても低予算だ。
しかし自分にお金が全くないわけでもなく、実家暮らしで飲み会もさほどない私にとって、自分へのご褒美で数千円使ったっていい。それなのに、高価なものはご褒美用に購入できない。なぜだろうか?
本当はご褒美じゃなくて、現実からの逃避行
過去を振り返り、なぜ自分が高価なご褒美を変えないのかが分かってきた。わたしが購入したお菓子は頑張った自分のためのご褒美というより、つらい出来事に立ち向かう自分の逃避行先としているからじゃないか?たしかにご褒美が買いたくなるのは、何かしら大変な時期だ。だからこそ一時でも気をそらして、見るべきものから離れたくて、それを好きなお菓子に置き換えていたのだろう。先行してお菓子を手に入れてしまう罪悪感から、500円の壁を越えられないかもしれない。
本格的なご褒美を自分にあげるには、もっとたくさん頑張ってみた方がいいのかもしれない。でも500円以下のお菓子も結構好きだから、引き続きいまの頑張りのままゆる~く続けるのもあり。現実からの逃避行も、たまには必要だよね。
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