マガジンのカバー画像

雪輪リウム

11
お話の収集、飼育、展示をする場所。
運営しているクリエイター

記事一覧

徒歩十分

 聞き慣れた、彼女の明るい笑い声が空気を震わせた。それを聞いて僕も笑顔を返す。手を差し出すと迷わずに取ってくれるのが嬉しくて、彼女の温かい手を握ったまま前後にブンブンと振る。そうすると、また彼女の笑い声が薄曇りの空に駆け上った。
 二月だというのにその空はさほど寒くなく、僕も彼女も制服の上にはなにも着ていない。

 駅から学校までの道。普通に歩いたら七分。別々のクラスの僕と彼女は朝と夕方、十分かけ

もっとみる

これが仕事です

「お腹痛い」
「変なものでも食った?」
「昨日の現場で」
「ゲテモノ?」
 そう。ゲテモノかもしれない。仕事場に降り立つといつもと全く違う空気で戸惑った。キャッチーな音楽と、その中心で声援と幾筋ものライトに照らされて笑顔を振りまいているのはこの夢の主だ。
 普段なら異形から逃げ惑う夢や、真っ暗な廃墟で途方に暮れているような夢ばかりなのでこの光景は異様だった。
「私の夢を。悪い夢を食べてください」

もっとみる

その名前は雲のように

 飛行機の足跡をくぐり、私は傘を広げた。もうすぐ夕立がやってくるだろう。綿のTシャツは夏の暑さと湿気を吸ってへばっているが、この雨が降れば秋が来てしまうので暑さも少々名残惜しい。
 隣を歩く君の瞳はカメラのレンズのように辺りの風景を読み取り、一心不乱にメモリに保存していた。
 ちぎれた記憶の中では君も傘を差している。暖かそうなウールのセーターを着込んで雪を降らせる空を見上げる。羽根が落ちてきている

もっとみる

逆巻きの色

 真っ黒の中を歩いていると、赤い炎が上った。中を覗くと目を釣り上げた私が映り、「ああ、怒っているんだな」と思ったら炎が消えて、辺りがうっすら明るくなった。
 次に大きな緑の葉に寝転がる私が見えた。頬杖をついてつまらなさそうにしている。ため息をつくと葉が舞い上がり、空が深い青に染まった。
 ぽつり、と雫が落ちてきた。見上げると空で私が青い涙を流している。それを見ていると悲しくて悲しくて一緒に泣いた。

もっとみる

僕+彼=theme ∴僕=?

 僕にはずっと、なにか足りないという思いがある。それがなにか分からないまま、氷塊だらけで冷たい大地をあてもなく一人さまよっている。
 ある日氷原を歩いている人影を見つけ、必死に追って声をかけた。

「あのっ、初めまして」
「どうも。私はマル」
「マル、さん」

 違う。僕が求めているものを彼は持っていないだろう。足りないものを特定していないのに瞬時に僕はそう感じた。
 あれから歳月は流れ一人旅に慣

もっとみる

陽子

「お日さまってなにでできてるんだろ」

 穏やかに晴れた土曜日の午後、窓際で日向ぼっこをしているサクが言った。

「火の玉じゃない?」

 分かりやすい回答じゃなかったかもしれない。一生懸命頭の中で考えているのが見て取れる。透き通った頬に睫毛の影が落ちる。
 答えが出たのかパッと顔が輝いた。

「だからお日さまもようこちゃんもあったかいのね!」
「私、あったかい?」
「うん。ようこちゃんはお日さま

もっとみる

重さ、約7.4グラム

 私は絵が下手だ。
 ただ下手なだけではない。
 昔、飼っていたネコのミーを描いたら、ミーの口は私が描いた通りに耳元まで避け、縦一列に並んだ四本の脚で歩きにくそうに擦り寄ってきた。それから私は絵を一切描かなくなった。
 ある時友人が戯れに描いた私の似顔絵を見せてきた。私が気にしている糸のような目をそっくりそのまま写したその似顔絵は、腹立たしいほど私に似ていた。
 私はそれが気に入らなかったので持っ

もっとみる

no moon, new moon

「今日お月さまいないね」

 暗くなった空を見上げてサクが口をとがらせた。

「まだ出てないんじゃないの?」

 そう答えてなにげなく壁に目をやると新しいページに替えたばかりのカレンダーの枠内に黒い丸が描かれていた。そっか、今日は朔の日だ。

「サク?」
「新月だよ」
「しんげつ?」
「お月様は出ているけど見えない日」
「お月さまいるのに見えないの?」

 不思議そうに首をかしげるとおかっぱの先が

もっとみる

硫化アリルと思慕

 頬を伝ったしずくが生暖かいことで、私は泣いているのだと気がついた。どうしてだろう。そんなつもりはなかったんだけど、ゴーグルをしないでプールに顔をつけたときのように視界がぼんやりと滲んでいく。
 あ、ゴーグル。もう何年もしまいこんでいたゴーグルを引っ張り出す。これで視界はクリアになるはずだ。そう思っていたのに少しするとまたしてもぼやける目の前。諦めてゴーグルを外して手を進める。
 なにがいけなかっ

もっとみる

掬われた足元

 いつからこうしているのだろうか。長い間そうしていたようにも思えるが、もしかしたらさほど時間が経っていないのかもしれない。手を伸ばしてもなお空いている距離をぼんやりと眺めた。

 初めて彼女を見かけたのは、西の空に半分沈んだ太陽が茜色に染めた駅前通りだった。桜がすっかり散って濃い緑を繁らせた樹の下のベンチで佇んでいる彼女を見て美しいと思った。誰かを待っているのか姿勢良く座り真正面を見つめるその瞳は

もっとみる

腐葉土

 想い重ねた言の葉が厚く積もる。素直に伝えられたらどんなに楽なのかと考えるが、それでも今日も、はらりと離れた緑の葉を足元に落とすと拾い上げることをせずそのままにした。
 緑の葉は次第に腐りゆく。同じように僕は心の中で醜い想いを募らせる。この想いがじわじわと効く毒のように君に染み込んでいけばいいのに、なんて考える。気が付いたときには僕しか見えないようになっていればいいのに。そんなふうに。
 だけどな

もっとみる