硫化アリルと思慕

 頬を伝ったしずくが生暖かいことで、私は泣いているのだと気がついた。どうしてだろう。そんなつもりはなかったんだけど、ゴーグルをしないでプールに顔をつけたときのように視界がぼんやりと滲んでいく。
 あ、ゴーグル。もう何年もしまいこんでいたゴーグルを引っ張り出す。これで視界はクリアになるはずだ。そう思っていたのに少しするとまたしてもぼやける目の前。諦めてゴーグルを外して手を進める。
 なにがいけなかったんだろうか。私はただ、ハンバーグを作るために玉ねぎをみじん切りにしようとしていただけなのに。一度零れた涙はあとからあとから溢れ出る。玉ねぎを刻み終え挽き肉を加えて練っているときも、丸めて真ん中を窪ませているときも、温めたフライパンにそれを置いたときも、ひっくり返して蓋をしたときも、私はずっと泣いていた。

 『ピピッ』とタイマーが鳴った。フライパンのガラスの蓋を開けると勢いよく湯気が顔に当たる。すでに涙は止まっていた。焼き加減を確認してお気に入りの黄色い皿によそう。もう一つはオレンジ色の皿に乗せて、プチトマトと茹でたブロッコリーを添えた。テーブルに運んで自分の座る椅子の向かい側にオレンジの皿を置く。

「いただきます」

 ぽそりと呟いた声が部屋の中に浮かぶが、ひとりきりの部屋では当然のように応える声はない。頬を伝ったのは玉ねぎのなんとかって成分と、ハンバーグが好きな彼女への想いだった。

第111回フリーワンライ (2016.9.1)
お題:伝ったのは

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