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旅行記 ヨーロッパ短期旅行 第一話

7月の暮れ、私は外国への旅行を企てていた。会社に勤めながら長期の休みをとることはこの国ではなかなかに難しい技である。幸いにも人事部は形式上、有給休暇を最低5日はとらなければならないという社内報を打ち、なおかつ私がまだ入社して時期もたっておらず、上からは5日の休みを取るように下達された。私は大学時代に中国、インド、ロシアなどに歴遊したことがあった。今の時代は安いチケットを発行する航空会社も増え、中流の私も容易く海外へと行くことができるようになった。幕末や明治の時代に比べると恐ろしいほど世界が狭くなっており文明も歴史上かつてないほどに進歩していた。一方で国家間の対立は対戦前に比べれば大人しくなったが未だに中東に源を発する一神教の対立は激しく深まるばかりであり、経済が成長すれば次第に西側を見習い民主化すると思っていた中国も古の帝国を彷彿とさせるような、それはまさに覇道を推し進める孟徳の如くである。私はこの中国という国の文化に魅せられ拙いながら中国語を習いながら漢籍を読みふける大学生活を送っていた、留学もしたが未だこの国の実態については掴めず、その容は私の中でも朦朧としていた。また中国国内における伝統文化の破壊、文化大革命によって失われた旧社会の美しい文化、その代わりに存在するなんとも安っぽい町並みに度々何度か悲しみに襲われたこともあった。それはとても辛いことであった。アメリカに敗れ失われた東洋のプライドをもう一度取り戻したいという私の歪んだ思いを中国に投影していた。
自分の国からも近くそして我々の文明に大きな影響も与え、そして同時に彼らが我々社会に潜在的な脅威を与えてるというこの時に、この国の容を捉えるため、それに比肩しうる強力な文明を見ることがそれを知る最善の方法ではないか?と私は稚拙にも思った。とても器用とは言いがたい脳みそを持った私だが頭の中では旅行先は2つに絞られた。一つはイスラム圏、もう一つは西欧である。しかし私は西欧を選んだ。開国以来我々は彼らから多くを学びそして敵としても強く意識し戦ったこともあった。敗戦によって我々は社会を再編するにあたり、江戸時代の教養を持つ幕末の志士たちと違い、軍事的にも文化的にも近代化という名の西欧化に身を埋めた。アメリカ軍の基地が沖縄、岩国、横須賀といった地域に置かれ事実上の半植民地状態であることは我々はもちろん周辺のアジア諸国も当然知っている。少なくとも私はそう思ってる。経済では一応の成功を納めた我々の国ではあるが、金を出す意外に国際社会にさして有効な手段を持たない戦後の体制しか知らない私にとって、西欧社会と異なる政治体制と社会体制を持つ中国が彼らの作った秩序に立ち向かう姿は私の心には1つの希望として見えたのだ。つまり私が中国に魅せられ理由は私が潜在的に私たちの国の敵と見なしていた西欧社会への挑戦的姿勢を持っていたことである。しかし私は西欧がどんな国々であり、どのような社会を有しているかを実際に見ていないし、極めて印象がぼやけていた。これは行くしかない、旅行先は決まった。とれた休みは10日間、あまりにも短いが平均的な勤め人がとれる休みはこれが限界、こんなにとったこともないという方も読者にはいるだろう。こんな短い時間で西欧の何が分かるかという意見もごもっとも。この短くリアルな時間軸の中で感じたこと見聞きしたことを感じて皆さんの知識の一助となれば幸い。私のつまらない文明論某を述べてしまった。そろそろ旅行に出発しよう。

私は有給届けを上司に提出し印鑑をもらった。上司は力なく判子を押し、血眼になった眼をこすりながら私に届けを返した。どうやらこの部署に入り課長に昇進したのはいいのだが本部長との折り合いがあまりにも悪く苦心しているようだ。仕事中どこへやらと夜中出掛けていき泣きながら事務所に戻ってきたこともあった。なるほど大学時代は人生最後の夏休みとよく大人達から言われた理由が会社に入って半年近くになりよくわかってきた。働き方改革などという安っちいスローガンを掲げてみたはもののこの国のいりくんだ会社組織は一向に代わらず、子は親の罪を隠すならぬ部下は上司の罪を隠すという儒教が変質した文化が染み渡っており、我が国民のモラルは非常に高いという認識は入社と同時に壊れつつあった。
飛行機のチケットは予約できた。直行便は非常に高いので行きは仁川を経由しウィーンへ、帰りはパリのシャルル・ド・ゴールから再び仁川を経由し東京に戻るという手はずだ。韓国には以前入国したことがあったため経由にさして不安はない。なにより経由待ちの間に空港内の岩盤浴に行き休息をとるのを楽しみにしていた。ヨーロッパ旅行に出掛けることを本部長に告げるとウィーンで駐在している社員に会うように薦められた。正直あまり気乗りしなかったが本部長には良くしてもらっていたのでウィーン到着してそのあと食事をする運びとなった。そしていよいよ出発の日になった。深夜の便のため会社で仕事を終わらせてから家に戻り、その後空港へ向かう事にした。当日思いの外仕事が手こずった。少し気まずい職場をそそくさと駆け出し、電車で帰宅し、昨日に準備しておいた荷を担いで一路空港へと急いだ。東京の空港を使用するのは、これが初めてで以前は関西に住んでたため関空を使用していた。そのためなんとなく、違和感を感じながらチェックインカウンターで手続きを済ませ保安検査に直行した、保安検査に並んでいたのはほとんどが中国人で臙脂色に金色の天安門が光るパスポートを所持していた。旅行の手土産やらバッグやら色々ぶら下げこれから国へ帰るのだろう。一時期彼らのマナーが問題視されたこともあったが、それが嘘のように整然と並んでいた。漢語特有の四声の音は耳につくがそれは旅情として私の心をかきたてた。前に並んでいた中国人の男のために私の保安検査は大幅に遅れた。金縁のメガネに赤いポロシャツ姿の男のズボンからまるで四次元ポケットのように日本円の紙幣やら人民元やら、ソーセージやら鍵やら怪しげな漢方やらが大量に出てきたためである。それを取り出すのにも苦労し、幾つかは没収されていた。没収に対してはひどく交渉していたが検査職員には無視をされ、敢えなくいくつか没収せれてしまった。私は少し悲しげな気持ちになった。
私は手早く検査を終わらすとソウル行き大韓航空の搭乗口へ向かった。搭乗口の椅子には大勢の韓国人が携帯電話に向き合いながら座っていた。旅行や仕事で疲れているのかぐったりしている者もかなりいた。ミントブルーの機体は夜に隠れて薄く輝き、特有の赤と青の対極図が描かれている。搭乗手続き開始のアナウンスが流れ、動きを止めていた人々が急にせわしく動き始める。いよいよ搭乗開始だ。この時間は何度旅をしても胸が高鳴る。機内に搭乗すると私は自分の席につき身を落とし窓に眼をやった。暗黒の中を人々がせわしなくうごめいている。恐らく航空機に関わるスタッフの人々であろう。小さなこの国の繁栄とあまりにもきっちりとした過剰なサービスは彼らのような労働者の死にものぐるいの働きによって支えられている。自分も彼らのような労働者の一部なのか、いや一部にもなれていないのか、なりたくないのか、私は漠然と不安になった。
早口なハングルのアナウンスが流れると機体はゆっくり動きだし、やがて離陸するための定位置まで移動した。機体はエンジン音を響かせ急発進し、ゆっくりと頭を反らしながら滑らかに離陸した。強い重力と浮いたふわっとした感覚が襲ってくる。窓からは深夜にも関わらず真昼のような東京の夜景が見え地上の天の川のようであった。東京を中心に神奈川、千葉、埼玉から光の管が放射線状に繋がれている。一つ首都の発展は国全体の繁栄ではなく一極集中なのだとまざまざと見せられたような気がした。一定の高度まで機体が上昇するとシートベルトのサインが消え機内にリラックスした雰囲気が流れた。私の隣には母と娘と思われる2人の女性が座っていた。話してみると娘の医学部合格のお祝いに2人で大好きな韓国に旅行へ来たようだ。この国では20年程前から韓国芸能界の進出が活発化し大きな人気を博しており、この2人もそういったいわゆる韓流ブームに魅了された人々らしい。お気に入りの歌手のライブチケットが手に入れたらしくかなり興奮していた。娘の他に息子もいるらしいのだが反抗期で口もまともに聞かないらしく、今回の旅行にも誘ったがまったく取り合おうとしなかったらしい。母親に対してくそババアなど悪態をつき、手を焼いているらしいが、母親からするとそれが可愛くて仕方がないという。噂には聞いていたが母親にとって息子はやはり可愛いいらしい。くそババアなど怖くて言えないような厳しい母親に育てられた私にとってまったく信じられないことであった。そんな状態で隣の親子連れと話しているとあっというまに仁川の空港の上空に差し掛かった。かつて朝鮮戦争時にはマッカーサーによって大上陸作戦が敢行されたこの遠浅の干潟も、今では世界中でも非常に高い集客力を誇る国際空港に生まれ変わっている。この空港を見るたびに韓国の大きな飛躍を感じずにはいられない。空から見ると同じミントグリーンの鉛筆のような機体がきれいに整列されてる。機体は無事着陸し、タラップがつけられると私はバスに乗って出国ゲートへ向かった。空港のターミナルに入るとほのかにニンニクの香りがする。韓国に来るたびにこの香ばしい香りを感じる。韓国料理にはたくさんのニンニクが使われるからなのかわからないが一つ旅情を誘う香りである。トランジットの時間は7時間もあるためウィーン行きの飛行機の時間まで一時出国してよく滞在する岩盤浴のスパに滞在することにした。スパといっても個室もありトランジット客のためには至れり尽くせりの施設である。深夜の到着であったため入国管理のゲートも閑散としており入国は非常にスムーズにいった。
早く岩盤浴に行きたいと思いスパを目指したが残念ながら改装中のため営業がされていなかった。がっかりした気持ちと深夜の飛行機の疲れも急に込み上げてきたため、その場にあったベンチに崩れるように横になりそこで一夜を明かすことにした。掃除がかりの労働者がモップがけをしてる以外に人影は特に見えず24時間空港とは思えぬ静寂がただよっていた。

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