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旅行記 ヨーロッパ短期旅行第四話

また朝がやってきた、今日も相変わらず気持ちのよい晴天だ。携帯を見るとクリストフからスイス行きの電車に乗ったとの連絡があった。「ヨーロッパを楽しんでくれ、次はぜひスイスで」。今日だがこのウィーンを出発することになっている。次の目的地はヴェネチアだ。とは言っても夜行列車で行くので夜中10時半までは時間がある。特に予定も決めていないので、出発までの膨大な時間をつぶさなければいけない。まず初めにウィーン美術史美術館に行こうと思ったが、あいにく日曜日のため休館だった。7日目の休息を邪魔する権利はないので諦めることにし、昨日クリストフが紹介してくれた別の博物館に行くことにした。携帯に博物館の名前は送ってあったが、ドイツ語のため正しい名前は今も分からず仕舞いだ。携帯で名前を検索したところ日曜日にも関わらず開いているようだ。場所はホーフブルクの側で現在地からもそう離れていなかった。昔馬車が通っていたと思われる古い細い道を抜けながらホーフブルク周辺を歩いていくとその博物館の小さな入り口があった。特に大きな看板もでておらず、やけにこじんまりとしていた。入場料を白髭を蓄えた頑強なじいさんに渡したあと薄暗い館内へと入った。クリストフが言うには非常に大切な歴史がある場所なんだそうだそうだ。
中の展示品を見て驚いた。神聖ローマ帝国の帝冠がそこにはあった。まばゆい黄金といくつもの宝石に飾りたてられクラウンにはソロモン王の七宝が焼き付けられている。それはまさにキリスト教世界にとって偉大なる歴史の象徴である。ウィーンハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を多く排出しているため、この博物館にはどうやらそれにまつわる品が多数展示されているようだ。他にもバルチック海岸の琥珀でできた工芸品や皇帝のマントや美しいタペストリーが多数展示されていた。ちなみにあっさりとした説明だがオーストリアもドイツも同じドイツ系で言葉もドイツ語である。ただ双方の主張するドイツとしての国家像に相違があり、2つの国は別の道を歩んでいるわけである。それにしても小さな入り口は想像もできない奥の深い博物館であった。クリストフにお礼の連絡をしておいた。博物館をでたあと適当な売店でサンドイッチを買い、それを貪りながらあてもなく歩きだした。適当に歩いていると昨日タンゴを聞いた人民公園にたどりついた。公園は日曜日とは思えないほど空いておりベンチにまばらに人が座って新聞や本など読んでいた。私も適当なベンチを見つけそこで残っていたサンドイッチを食べきり、持ってきた王陽明の伝習録を読むことにした。その熱意ある教えは読むたびに自分を奮い立たせてくれる。しばらくそこで本を読んでいると少し汚い身なりをした男が公園にいる人びとに順々に話しかけているのが見えてきた。隣のベンチに座っている人の所まで来て、私は様子をうかがっていた。ベンチに座る人へ向かって何かスケッチブックのようなものを見せ必死に説明している。相手は目も合わせずに頭を左右に振った。男は諦め、次に私の前までやってきた。先ほどと同じようにスケッチブックのようなものを広げて何か説明し始めた。紙には矢印と意味のわからない単語がいくつか並べてあり、彼が何を訴えているか全く分からなかった。私は頭を左右に振ると男は諦めてまたどこかへ行ってしまった。何を拒絶したのかわからないことに対して若干の気持ち悪さを感じたが、何か怪しいきな臭さを感じないわけではなかった。しばらく公園のベンチでゆっくりした後、また当てもなく散歩を始めた。リングシュトラーゼを歩いたり裏道を歩いていると、また開けた芝生の公園が現れた。さきほどの人民公園に比べて広く、家族連れやカップルがたくさんいた。木陰では多くの人が横になって寝ており、その姿は陽気に寝転がっているというよりは、何か刹那的な死を思わせるような脱力感を感じさせた。
私も木陰に座り次の目的地を考えていた。そういえばウィーンの側をドナウ川が流れていたことを思い出した。私は地図で場所を調べて川の最寄り駅まで地下鉄で向かうことにした。駅に到着すると中心部に比べてゆったりとした雰囲気が流れており、人びとがテラス席でぐったりコーヒーをすすったり、軽食のようなものを口にしている風景がそこかしこにみられた。少し歩くと緑色のどんよりした川に突き当たった。どうやらこれがドナウ川らしい。青く美しきドナウというよりは琵琶湖疎水に似た雰囲気だった。川の護岸にはwelcome refugeesと大きな落書きがあり、これまでのウィーン散策とは違う何か陰鬱としたものを感じさせた。対岸には川のそばに細い小さな道があったので橋を渡り散策することにした。川沿いの道は草むらの中にありバッタやら甲虫類がたくさん飛び回っていた。しばらく進むと歩道専用のトンネルがあり壁には様々な落書きがされていた。中には日本の浮世絵風風の芸者がサイケデリックな赤いサングラスをかけ、タバコを吹かしている強烈な絵もあったり、意味わからないモンスターなどが書いてあったが、なんだか落書きにしておくのは惜しいような、なかなかのクオリティの作品である。他にも誰かが勝手に置いたのか、気味の悪い彫刻が置いてあったりなど川沿いには不思議な光景が広がっていた。しかし周りの環境はアートな雰囲気とはまるでかけ離れた、まるでソ連式住居のようなアパートが並んでおり、これが昼でなく夜であったらさぞ不気味だろうと思った。ぶらぶらとしているうちに日夕方も近づいてきたため私は中央駅のある市内中心部に戻ることにした。中央駅へ向かう途中、繁華街のインネルシュタットもふらついてみたがこれといって見るものはなく世界どこでもよく目にするブランドショップが軒を連ねていた。道草をくいながらようやく中央駅に着くと、朝預けておいた荷物をコインロッカーから取り出しチケットを発券するために駅のチケットカウンターへ向かった。しかしここでトラブルが起きてしまった。値段の安さに釣られてイタリアの鉄道会社で席を予約していたのだが、それだとオーストリアではチケットを発券できないことがここで発覚したのだカウンタの係員は「ここはオーストリアよ!オーストリアの鉄道会社から買った分しか発券できないわ!何考えてるの!」「しかし、じゃあなんで買えるようにしてるんだ!私のような旅行者に分かるはずがないだろう!」「あなたEチケット見た?ここにイタリアのチケットマシーンで発券してくださいって書いてあるでしょ!」確かにEチケットの最後の行にそんなようなことが書いてある。しかしこちらとしても引き下がるわけにはいかない。寝台列車の料金が無駄になるし、場合によってはこのささやかな勤め人の短期旅行がパーになってしまうかもしれないのだ。しばらくすると奥から恰幅のいい金縁メガネを掛けた中年の男がでてきた。先ほどから問答をしていた係員が駆け寄りその男に先ほどからの内容を話した。男はジンジャーヘアーの短髪をいじりながら、ターコイズブルーの目で私を見つめていた。おそらくマネージャークラスの人間らしい。カウンター越しに私の側までくると「おい、なんでイタリアの会社から買ったんだ。お前一旦イタリアまで行ってそこでチケットを発券してまたウィーンに戻って電車に乗ろうとでも考えてたのか?どこまで行こうとしてる?ヴェネチアか。美しい町だ。水の都でヨーロッパでも随一の美しさだ。だが、こんな状態じゃお前も行くことは叶わないな。」「これから今日の電車の予約をできないんですか?」「残念ながら今日は満席だ。この路線がどれだけ人気か知ってるのか?」「じゃあ、どうすればいいんだ?」男は紙を取り出し何やら箇条書きした。「いいか、お前が電車に乗る方法は3つある。1つ目は切符をオーストリアの鉄道会社で予約する、2つ目はイタリアへ行って予約した切符を発券する、3つ目はとりあえず予約した電車に乗り、車掌が切符をチェックするときに今持っているEチケットでごり押しをする。この3つだが前の2つの方法をお前は既に失っている。つまり私が言いたいのは3つ目の車掌にごり押ししろということだ。とりあえず電車の車掌のトップにはお前の事情については連絡はしておく、だが切符の検札にやってくる車掌は恐らく末端の移民だ。そいつらにまで俺の連絡が届いているかはわからん。いいか?なんとか自分がこの電車を予約したことをプッシュするんだ。遠い日本からここまで来たんだ素晴らしい景色を見に行きたいだろう。」私は深々とその男にお辞儀しお礼を言った。お別れに手を振るとニコッと笑顔で手を振り返してくれた。嫌みなチケットカウンターの番人と思われた男がまさか君子だったとは思わなかった。

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