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あれこれ言うのもいいけど、とりあえず愛着埋めるっていうのはどう?


摂食障害の、とある会報が来た。

大学病院の先生と、家族会のひとと、当事者の講演会録のようなもので、あらゆるひとが摂食にまつわることを、あれこれ話していた。

ちょっと目を通してみたけれど、1ページも読みきれなかった。


なんか、「自分を受け容れられない」「自分がきらい」「ありのままで生きたいのにどうしたらいいかわからない」「家族と喧嘩になる」等々。

そんなの、
胎児期、乳幼児期の愛着が埋まっていないからなのでは?

そのひとことに尽きる。

いや、一言じゃないけど、言いたいことたくさんあるけど、まずそこからなのでは。


わたしも数年前までは、その講義録のような理論、理屈をこねくりまわしていた。
病院に通い、家族会に顔を出し、当事者会で話をする。

でもなんか、どこかでコレジャナイ感 をひっそり感じている。
常に何をしていても、本来のわたしは違うところにいるような感じ...

現に食生活は苦しくないのに、生きづらさだけが残る。


ちがう、わたしはそうしたいんじゃない。

時折訪れる感情の爆発。

パートナーにイライラし暴言を吐き、両親には喚き散らかす。たまに取っ組み合いの喧嘩になる。
どうして、わたしはこんなにイライラしているんだろう。
もっとわたしのことわかってよ。


これって、ほんとに摂食障害なの?
症状を見れば、境界性パーソナリティなんちゃらとか、感情の障害とか、そっちに当てはまるんだけど。


そんなこんな思っていたら、カウンセリングの先生から、「発達障害と愛着障害かもね」と言われた。

どうにもならなくなって行った鹿児島で、神田橋先生からも「胎児期の愛着障害」と言われた。


つかれたので、またつづきを。


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