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私、どうしてこの人と結婚したんだろう

 夫とは、結婚して15年になります。

 彼は、とても穏やかな性質で、およそ「怒る」という感情とは無縁の人。ですが、正直気が利かず、あまり共感してくれず、相槌も下手で、黒川伊保子さんの『夫のトリセツ』で、典型的な夫像としてとりあげられそうな人です。

 もしも、生まれ変わった時にもう一度彼と結婚したいかと問われれば、うっかり沈黙してしまうであろう自分が目に浮かびます。

 ですが、新年に、「ああ、私はこの人のこういうところが好きだったなぁ」と思い出す出来事があったので、忘れないように、ここに綴っておきたいと思います。

 元旦、10年来の共通の知人と顔を合わせる機会がありました。その知人は、ほんの1年程度合わない間に、なんというか、とても見た目が大きくなっていました。恰幅が良くなった、というのでしょうか。
 その彼は私と夫より10歳以上若く、「恰幅がいい」がまだ全く褒め言葉にならない年齢で、加えてどこかくたびれてしまったような姿に、明るい方向の変化でないことは想像できました。

 その日、知人と別れて家に帰った後。
 私と夫の間でそのことが話題になることは一度もありませんでした。

 夫も、別人のような知人の姿に、少なからず驚いていたことは想像できます。ですが、何も触れなかった。
 私は、「ああ、この人のこういうところを信頼して、結婚したんだったな」と、急に思い出したのでした。

 結婚前に付き合った人の中には、こういう時、「あいつ、一体どうしたんだろうな」と、悪びれず、またはあからさまに揶揄の気持ちを込めて、口にする人もいました。
 私は、それがとても嫌だった。自分が品行方正な人間だとは露ほども思いませんが、なんというか、「人間の卑しさ」みたいなものを見せつけられる気がして、胸が波立つのを感じていました。

 ですが、夫は、それをしない。今までもずっと、そういう人でした。
 もちろん、その行動に、深い思慮があってのことなのかは、聞いたことがないのでわかりません。もしかしたら、家に帰ったら忘れていたとか、別に驚かなかったとか(それはそれですごいことですが)、そんな程度のことかもしれません。

 でも、私はそこが好きだった。信頼していた。だから彼と結婚した。

 たとえ、満員電車で私が重い書類を提げて立っていても、持ってあげるという発想さえ浮かばない人(笑)でも、天秤にかけたのは自分でした。
 本人がいない場所で、興味本位だけで他人のことを話題にしたりしない、それが彼の美しい性質で、スマートに女性の荷物を持てることよりも尊い。
 まだ私たちが夫婦ではなかった頃、確かに私はそう思っていたのでした。

 新しい年が始まった清々しい日に、私はそのことを思い出しました。
 もちろん、思い出したからと言って、今の生活が変わるわけではありません。
 
 私たちは、どこにでもいる普通の夫婦で、いつまでも恋人同士のようとか、そんな形容は似合わず、とげとげしい空気が家の中を重くすることも、昔よりは増えてしまったけれど、それでもまだ夫婦として続けていける。

 そんなことを感じた一月一日だったのでした。

最後まで読んでいただきありがとうございます!心から感謝します。